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茨城千景 |
〒310-0912 北茨城市大津町五浦727-2TEL:029-225-4425
    
大津の人びとの心のよりどころというと
大げさでしょうか.
でも東日本大震災で流出してから、
再建に至るまでの道のりと、
そこに寄せられた様々な声を思い起こすと
決して誇張ではないと感じます. |
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現在の正式名称は
「茨城大学五浦美術文化研究所六角堂」です.
明治の思想家であり、日本美術院の主催者であった岡倉天心が五浦へ移ってきたのは1903年.変化に富んだ景観に魅了されてのことだそうです.1905年には自ら住居と六角堂を設計し建てました.
道路に面した長屋門は当時の佇まいを残します. |
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門をくぐり小道を下ります. |
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すると海を見渡せる空間が広がり、天心邸が現れます.この住居は、かつてあった観浦楼という料亭の古材が使われており、意外と粗末な材料で建てられたそうです.
横山大観
下村観山
菱田春草
木村武山
錚々たるメンバーが集ったところです. |
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津波は住居までのぼってきました. |
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天心は六角堂を「観瀾亭」と呼んでいました.
東日本大震災の津波で流出し、土台だけが残りました.その後、文化財被災のシンボルとなり、2012年4月に再建されました.
文化財ということだけでなく、それまで当たり前にあったものが無くなる、その悲しみ、寂しさのシンボルとして考えることができそうです. |
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天心がそう考えるわけではないと思いますが. |
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しかし、岡倉天心にとって大切な場所であったこの地は、もともと北茨城、大津の人達にとって大切な生活圏であり、歴史を紡いできたところでありました. |
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