大学往来 

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2000/2/10(木)ネット依存

昨日の会議の議事録書き。

あるweb日記で紹介されていた本、「脳の中の幽霊」V.S.ラマチャンドラン・S.ブレイクスリ(角川書店)を読み始める。印象的なコトバで語られる「実験的認識論」だ。第一著者は「幻肢痛の研究で知られていて、私の講義でも痛みの知覚の単元で論文を紹介している。

Web 日記やメーリングリストの「書評」には的確な選択・紹介がしてあって、興味を引かれてよく買って読んでいる。また、「専門」分野とは異なる分野の本は判断が難しいのだが、メーリングリストの話題の流れで出てくる場合には関連性を把握しやすく、これまた何冊も購入している。本えらびもネット依存的になっているが、「先達」の案内はありがたく拝借するべきだろう。

持ち運べるという条件で探してみると、ノートパソコンはどうもあまり選択肢がなく、Vaio505シリーズに落ち着きそうだ。こちらは発熱問題はないだろうなあ。まあ荷物+3キログラムの筋力トレーニングをするつもりと割り切れば選択肢は増えるのだが。


2000/2/9(水)「必要悪」

午後から会議がひとつあって、秋セメスター(後期)も終了に近づいた。

昨日のSPSSのバージョンアップで一番おおきな変化を書くのを忘れていた。コピープロテクションのためのハードウエアキイが廃止されたことである。正規ユーザーへの配慮もあったのかもしれないが、いろいろトラブルもあったのだろう。「必要悪」という面もあるのだろうが、レガシーコネクターのないノートパソコンでも使えるようになったのでこれは大歓迎である。

「必要悪」といえば、今日の東京新聞のコラム「筆洗」で、有名言語学者S氏のエッセイを題材にしたコラムがあった。必要悪とわりきって英語を習得しようというような内輪向けエッセイにコラム氏が賛同・共感された内容だ。かつてS氏は英語を「武器」に喩えた人だが、今度は「必要悪」かあ。「言語学者」であれば、もっと良いたとえを思いつかないものかと。

「みんな」に「強制」するから「必要悪」が生まれるのではないだろうか。「必要」のある人にとってはたしかに「必要悪」ということもあるかもしれないが、「必要」にせまられている人は、(S氏にいわれるまでもなく)努力して「道具」として身に付けられている人が多いのではないだろうか。

昨夜は久しぶりの雪だったが、朝方はまだ少し残っていた。朝から晴れて中庭の梅も映えて見える。


2000/2/8(火)SPSSのバージョンアップ

先週SPSS(統計処理ソフト)のバージョンアップが納品されてきていた。9Jになった当初にバグがあると聞いていた。しかし、いくらなんでももう直っているだろうと、今年度の予算でversion 9Jを申し込んでいた。10.0Jが出ているのは案内で知っていたが初期バグの例もあるので来年度にでもと考えていたら、あたらしいバージョン10.0Jのほうが納品になった。

主な変更点は、

SPSSはいまでも高価なパッケージだが、大学が契約校になっているのでまあまあ妥当な値段でバージョンアップできるようになったのは歓迎である。しかし、定期的にバージョンアップになってそれなりに改良はされているのだろうが、なんだが「税金」をはらっているような気分でもある。

マニュアル類はユーザーズガイド(SPSS Base10.0J)とグラフィックスガイド(9.0J)は翻訳されているが、SPSS Base 10.0J Applications Guideは英語のまま。不完全な知識では使えないようにしておくための「親ごごろ」かもしれない?

パソコンと統計ソフトによって「心理統計」の学習の仕方も変わりつつある。統計ソフトのパッケージをつかって「統計処理」の「しかた」だけでなく、「しくみ」もしっかり理解できるようなテキストがあると教える場合に好都合なのだが。来年度の課題。

夜春雷。まどの外をみると雪景色だ。 


2000/2/7(月)卒論発表会

午前中から卒論発表会。全体的な印象は悪くなく、それぞれ努力の跡を感ずる発表が多かった。しかし、M君がコメントしていたように、「内容が良くて発表も良い」、「内容はたいしたことないが発表は良い」、「内容も駄目で発表も駄目」、「内容は良いが発表が駄目」のそれぞれの例はたしかにある。

卒論のプロセスの大部分を知っていないと、その発表がどのカテゴリーに属するのか分からない面もある。「指導」で良く知っている学生の場合に、「内容は良いのだが、発表が駄目」という例を毎年経験する。このような学生は、非常に謙虚で、自分の研究の限界や問題点もよく分かっているために、かえってうまく発表できないのではないか、と思うことがある。また、内気な性格で控えめな発表をする学生もある。

学生には「人前」で発表する機会はそう多くはないので、このような学生には同情する面もある。私自身も「人前」で教えるようになってからかなりの年数になるのだが、いまだに授業開始前は緊張する。しかし一旦講義が始まってしまうとあたかも「職業的人格」に切り替わってしまうといった感じで、なんとか決められた時間話しをしている。この点にはある種の「慣れ」があることは確かだが、一番大切なのは、やはり話しの構成をよく考えておくことであると思う。「ハイライトを一つ含んだ少な目の話題」と「予備の話題(緊急避難用)」をいくつか用意しておくと少しは安心である。パワーポイントなどのプレゼンテーション用ソフトでつくるスライドは私にとってはおおきな精神安定剤なのである。

ところで、一人10分の発表時間でも専攻全員が発表すると長時間にわたる(今年は半数だったのは残念だが)。ここは、ポスターセッションを導入して、口頭発表形式と選べるようにしてはどうだろうか。今日懇親会をやった新・学生ホールはポスターセッションを開くのにぴったりのような気がする。

少なかったが1年生の出席もあってなかなかよかった。懇親会で4年生の Wさんと久しぶりに話しをした。Wさんは自分の進路についてよく考え、努力もし、スジの通る進路決定をしたと思う。


2000/2/6(日)入試

今日は入学試験(筆記試験方式)で試験監督業務。午前中英語と選択科目の監督。私の担当の教室は「大教室」で、およそ190人の受験生にたいし、4名の教員で担当した。毎年のことなのだが、入試ではいろいろ気をつかう。今年変わった点は推薦入試枠が大きくなったことで、試験方式の定員枠が相対的に少なくなっていることと、やっとというべきかマークシート方式が取り入れられたことだ。例年試験の後は採点補助の仕事をやったのだが、今年はこの省力化のせいか採点業務は放免された。入学試験と採点業務は私立大学の一種の風物誌である。ほとんど全ての教員・職員が関わる行事でもある。こちらでは、夕食に添えられる「豚汁」が、大きな鍋でつくるせいもあってうまいのである。(事務方のSさんに聞いたところ今年はこの名物はでないそうだ。これも省力化のあおりか。)


2000/2/5(土)償却費

今日は昼頃久しぶりに秋葉原へでかけた。通勤電車の中で(ラッシュとは逆方向への通勤なのでだいたい席は確保できる)つかっているノートパソコンの買い換えのためである。Vaio C-1XEはすばらしいものなのだが、なにしろ熱い。これはこの夏は越せない(?)なあと決めつけてもうすこし放熱効果のよさそうなものを物色している。

買い換えのときには「買い取り店」を利用している。下取りにすると、一月一万円程度の「償却費」になる。

ノートブックでは熱の発生の具合や省エネ動作によるこまかな休止状態からの立ち上がり、実際の電池のもち具合などは結局のところ使ってみないと分からない面がある。ノートブックもだいぶ「枯れて」きたようにも思うが、まだまだ過渡的な商品なのだろう。

秋葉原は相変わらず混んでいたが、中央通りの一本西側の通りは自作パソコン関係のショップの密度が高い。こちらを歩いている人たちは自作派で「昔」風の秋葉原族の雰囲気をただよわせている人たちが多く、大手のきれいなショップに出入りしているスーツ族とはだいぶ雰囲気がちがう。雑誌などでは大手ショップの売り上げシェアーが掲載されているが、自作ショップのデータをいれると、シェアーはかなり変化するのではないだろうか。

明日は入学試験。


2000/2/4(金)成績

成績の付け方は大学によって多少異なるが、ここではABC(それぞれ憂・良・可に対応)が合格、Dが不可(不合格)、Fが(出席不良による)受験資格喪失である。現在は成績は担当教員の「権限」で成績を決定し、最終的には教授会が認定したものとされている。最近の「審議会」で成績評価をきちんとするようにという提言があった。

採点する側になって毎年思うことに、評価の区分が3分類ではちょっと苦しいということがある。Aはおそらく他の大学でもAをとれる可能性があるという基準でつけるようにしている(他の大学といっても具体的にどこの大学というわけではないのだが)。いつも判定に悩むのはCの評定についてである。Cには文字通り「可」の成績と、限りなくDに近い成績が混合している。また、出席は非常に良いのだがテストが全然駄目だったという場合も苦しい。

また、必修科目を不合格にした場合に考えることは、たぶんあまり関心のない科目を再度履修しなければならないとき、「教育効果」がどんなものなのだろうということである。

成績判定の方法を明示すればこのような悩みから解放されるかもしれない。たとえば、「定期試験得点」(60パーセント)+「平常点(出席など)」(40パーセント)、試験規定に定められている得点区分によって「機械的に」評点を決めるという「客観的な」方法もあるなあ。

成績評価を6〜7段階(A+,A,B+,B,C,C-,Dくらい)にして、履修した以上は「資格喪失」でないかぎり単位は認定するが(授業にある程度出席していれば知識はまったくゼロではないだろう)、ただし「正確な」成績を付けるようにできれば良いなあと思う。

評価の苦しみから逃れるためにこのような方法を考えたりもするのだが、先生方の試験についての考え方はそれこそ人さまざまである。私自身も学生のころ、まったくできなかった科目がAだったり、よくベンキョウしたつもりの科目がCだったりということもあった。また、「温情」で合格にしてもらったとしか思えないあの科目が不合格だったらもうあの科目のベンキョウはできなかったかもしれないなどと思う科目もあるからやっかいなものだ。


2000/2/3(木)試験結果の分析

心理学研究法の定期試験の得点分布を調べてみた。小項目の論述式6題と選択式設問4問でごく基本的な問題である。試験は配付資料・ノート・テキスト持ち込み可で実施した。受験者は52名で、得点分布は下の図のようになった。平均値は55,標準偏差は21であった。問題の難易度から考えて、実は平均値はもっと高くなることを予想していたのだが。

設問の中にサンプルデータについて、平均値と標準偏差を計算する項目があったのだが、標準偏差値の計算式が理解されていない解答がかなりあったのである。基本的な事柄、教員にとっては当然の知識と思われているような事柄について注意が手薄になってしまった感。

分布は二峰性の特徴があるようだ。今期の受業では50点以上の右側の分布のようになることを期待していたので、このグループについては妥当な講義内容だったと思う。得点区分で50点のところは、両グループのそれぞれ得点上位者と下位者が混在しているのだろう。もうひとつのグループについては別の対応をかんがえなければならないことを示している。この二群にどのように対応していくべきなのか、が来年度の課題だ。

午後から4年生の希望者に卒論発表会のリハーサル。4名出席だった。全体的にはストーリーの準備不足で、時間超過。もっとシンプルに力強く。説明のしすぎでかえって大切なポイントがわかりにくい。説明しない図表はOHPで提示しないこと。ゆっくり話すこと。などこまごまと。内容については卒論の水準を満たしているのでリラックスして説明すればよい。「紙芝居」をして子供に聞かせるように話せばよいのでは。(今の若い人は紙芝居といってもピンとこないのかもしれないが、あれは実際プレゼンテーションの鏡です。)


2000/2/2(水)「プレゼンテーション」

昨日の試験の解答例と採点基準を掲示した。点数を整理したところ、最初の印象ほど悪くはなかった。「悪い結果」のデータが目立ってしまったのだろう。最高は91点。「科目等履修生」の方だった。出席状況を考慮して最終評価を決め、学務課へ提出し今学期の成績事務はほぼ終了した。

K学部では来年度から「プレゼンテーション」という科目が登場するとのことだ。学期を通じた授業なので「口頭発表」のみでなくより広いプレゼンテーションが対象にされるのかもしれない。丁度先日実験実習の「合同発表会」があったばかりだが、3年生のほうのプレゼンテーションはあまりうまくなかったので、思ったことを書いておこう。

学校で「教わって」いないということもあるのかもしれないので、いくつかポイントを書いておこう。(プレゼンテーションの虎の巻サイトもある)

まずあたりまえのことだが、一番大事なのは「聞く側の立場」にたってみるということだろう。「相手の立ちばにたってみて」と○○心理学で耳たこ状態のはずだ。

どうすれば良くなるか。先日他のグループの発表で「あーあ」と感じたところ、また、各自発表していて「ああすればよかった」と感じたところを思い起こして、それを直せばよい。

今回のような共同発表の場合には役割分担をよく相談しておこう。(たとえば、一人が司会・進行役になるなどいろいろ工夫できるだろう)。良いコラボレーションによって各個人の能力はより引き立てられると思う。

サービス精神は非常に大切だと思う。しかし、ユーモアとお笑いの区別はしておこう。また、なりもの入りの派手なプレゼンテーションがかならずしも心に残るというわけでもない。

プレゼンテーションには個人の努力のあと・理解力・表現力・気配り・コラボレーション能力など個人の特徴がよく現れる。

また、プレゼンテーションには発表者と聴衆の相互の関係もよく現れるように思える。だから聴衆の立場に回ったときには、良い発表を求める態度が大切なのだと思う。基本的には「発表など聞きたくない」という態度でよいのだが、「ただし、良い発表は聞きたい」という聴衆であってほしいものだ。それが相互に「スタンダードをあげる」ことにつながるだろう。

私自身のプレゼンテーションは棚に上げて、自分にできないことを要求するのは理不尽なことかもしれないのだが、学校の中ばかりではなく、世の中では諸君のことをこんな風な場面で評価することがあるかもしれないので老婆心ながら。


2000/2/1(火)試験

午後から学部の研究法・大学院の研究法のそれぞれ定期試験。学部は遅刻1名。例年、試験でも遅刻者は5−6名というところだが、ことしはほとんどなかった。問題は学部・大学院ともごく基本的な問題で、検定の基本的な理解を問うものである。終了後採点をした。ざっとみたところ学部は私の予想よりだいぶ点が低いようだ。大学院のほうは5名で、3名は検定の基本は大丈夫という感じだった。

今日はK学部の入試(K方式)と人間科学部も指定校入試があった。以前は入試の種類は推薦と試験の2種類で単純なものだったが、最近は「多様な入試機会」をもうけるということで、何種類もの選抜方式が行われている。「多様な入試機会」というのは大学間の多様な入試機会を実現し、それにより各大学・学部の学風にあった学生を選抜できるようにすることが、本来の姿だという指摘が正しいと思う。私立大学においては非常に大切な点ではないかと思う。



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