大学往来 

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2000/2/20(日)翻訳

今朝の東京新聞には「ひげ」の経済学者・宇沢弘文氏のインタビュー記事(「2000年、それぞれのメッセージ、第4回)。その中で、明治の始めにeducation の訳語をめぐる論争があったということが述べられていた。福沢諭吉は個人の能力を引き出し開花させるという意味として「開発」という訳語をあてた。 一方「初代文部大臣」になった森有礼(英語を国語にと提唱した人でもある)は「国家の理念に従って子供を教え育てる」という意味で「教育」という言葉をあてたということだ。もし福沢諭吉が文部大臣になっていたら、文部省の考え方もいまとはずいぶん違うものになっていたのかもしれない。初等・中等教育を念頭においた議論なのかもしれないが、現代においてはこの二つの考え方がせめぎ合っているように思える。

最近は重要な言葉についても(それが社会的なものであれ、学術的なものであれ)、あまり本質的な議論をせずに「外来語」そのままで語られることも多い。

逆に外国特に香港などでは「漢字やカタカナ・ひらかな」の意味のない日本語表示がファッション的に流行したりもしている。

このようなまじめな話題ではないのだが、先日教員談話室で昼休みに、「最近の映画のタイトルは原題をそのままカタカナにしたものが多いなあ」という話しになって、「昔」はなかなか詩的な翻訳タイトルがつけられていたのだが、いつごろから訳をつけなくなったのだろう」かと。これも似た現象かもしれない。


2000/2/19(土)一物二価

私事であるが、昨日は自宅の窓サッシの工事をした。集合住宅なので改造工事もままならないのだが、結露対策もあって、北側と南側の窓にそれぞれ「内側サッシ」をとりつけて二重窓にした。以前から自宅マンションの二重窓工事をした知り合いに勧められていたものだ。知人宅では二層ガラスに取り替えて、調子が良かったということだった。

この工事の見積もりを二社に依頼したのだが、見積もり価格はおよそ二倍もちがうものだった。一社はマンションなどの「リフォーム」の会社で以前一度電気関係の工事を依頼したことがある。もう一社は、サッシメーカから紹介してもらった工務店でこちらの見積もりの方が安価だったし、妥当だと判断してこちらに依頼した。

昨日は丁度「寒波」の予報だったが、北側はたしかに窓の「結露」はほとんどなく効果はあるようだ。南側は暖房や冷房効率に多少寄与してくれればということで、いまのところその効果は不明だ。遮音はかなり良好だ。自宅は幹線道路に近いのだが、車の走行音がほとんど気にならなくなって、ちょうど雪の降った日のように静かな感じがする。

値段といえば携帯電話の価格も店によりかなり違うのに驚いた。店により2倍近くちがうものもあったし、一円とか無料というものさえあった。通信料金が主体なのでこれでもよいのだろうが、それなら端末はすべて無料にすればよいのではと思う。困ったのは「機種交換」についての説明が店により違うことだった。「機種交換用の端末はいつ入るかわからない」とかいう店もあった。メモリー書き換えですむハズなのだが。顧客を「冷遇」する「会社の方針」というのはいったい商売なのかと思う。

(2/20記)


2000/2/18(金)通説

東京新聞は「「国立大学」が消える日」という記事を連載していた。今日は連載の最終回で、「行政」の矛盾や高等教育への国の責任の問題を指摘し、未来への展望のない政策だという結論である。

現在民営化や独立法人化を求める「財界人」や「政治家」は大学についてあやまった見方をしていると指摘している。記事のなかで、間違った通説の代表的なものとして以下の例が挙げられている。

「(国立)大学は文部省という教育立案部門の「現場」(行政機関)」だと主張するような人がいるらしい。その人たちの本来の仕事は、むしろこのような業績を示して「社会的共通資本」としての大学に「公共事業」を「誘致」することではないのかとも思う。

国立大学の内情は知るところではないが、大学はいろいろな問題を抱えていることはたしかなことだろう。それらの解決に今回の改革がどのように関係するものなのだろうか。


2000/2/17(木)「あすか」

「あすか」にここ数日はまっている。3番勝負は本気で見てしまった。時々見ていたが、和菓子の「老舗の伝統」対「大衆化」みたいな話しで、なんだかどこかの世界と似ているなあなどと思いながら。先日の追いコンではすでに勝負の結果をしっている学生がいて、新聞番組欄などにはかなり先までストーリーが出ているということらしい。楽しみを奪ってはいけません。

朝の連続ドラマといえば私が中学生のころに始まったものだと思う。「おはなはん」という物語がたしか最初で、これは大変人気があった。当時、私は「運動会」の仮装行列でおはなはんのご主人の役をやったのです。「おはなはん」の役をやったたしかIさんはいまどうしておられるだろうか。

大学も「大衆」の中にしか存在しえないものだと思うのだが、「葛とろりん」だけでは十分ではないなあなどと。どのような結末になるのか興味津々である。


2000/2/16(水)入試科目

東京新聞に東京大学は入試科目を増やすことを検討しているとの記事が出ていた。表向きは文化・理科の区別がつきにくい学際的な領域が増えているということで、これは確かなことなのだが、「ゆとり」教育のしわよせを大学が受けるわけにはいかないという背景もあるのだろう。

これが実現できるかどうかはわからないようだが、エリート大学では入試はあくまでも選別が目的であるから、いずれまた過剰な入試負担が問題になることだろう。個人的には、入試はごく基本的な科目で、むしろ簡単にするほうが良いと思っている。

私の立場では、入学してから本当にベンキョウ出来るようにするにはどうすればよいかということを、考えなければならない。米国式にほとんど予備知識なしでスタートできるようなカリキュラムを準備できないものだろうかと思う。高校の内容を大学でやるという意味ではなく。

しかし、「高度な」初等・中等教育は非常に大切な面もあって、知り合いのある編集者は「高校で習った英語が一番役にたっていて、英語のネイティブの記者に英文法を教えてやることがある」という話しを聞くこともあるのである。

iModeの新しい端末を求めて柏市内を回るも「品切れ」。なんでかわからないのだがDoCoMo柏○○店での対応が不愉快で、以前からこの店にいくといつも不愉快な思いをしなければならないのは、どういゆうわけだろうか。ほかの店では感ずることがないのだが。


2000/2/15(火)「独創性」

昨日、青色発光ダイオードを開発した方が米国の大学の教授に就任するというニュースがあった。その方はある地方の国立大学の出身で、アナウンサーがいかにもいぶかしげに「そんな環境での独創性」の秘密はなんですか、などと偏見丸出しといった様子で聞いていた。

常識を疑うこと、人のマネをしないこと、体で覚えることの三つをあげておられた。

そして「独創」をはぐくむためには、現在の入学試験を撤廃してみんな興味のあることだけをベンキョウ出来るようにすると良いのではないかと、述べられていた。これはちょっと極論だなあと思ったが、極論できなければ独創もありえないということだろう。これまでは「学問」や「教養」を重視してきたために、ベンチャーや、「一発屋」を「冷遇」してきているのかもしれないと思った。


2000/2/14(月)追いコン

昨日予想に反して(今日はチョコレートの日なので)、今日の夕刻にゼミの追いコン(「追い出しコンパ」)をやるという電話があった。2年生も参加してくれてほぼ全員出席だった。

今年の4年生は昨年度転出されたセンセイからの引き継ぎ組4名とゼミからの持ち上がり組4名で、引き継ぎ組の学生はいろいろ大変だったろうと思う。4年から合流して8名になってからは、合宿や行事などよく参加してくれて、そのキャラクターがにぎやかなこともあって、楽しい時間をすごすことができたと思う。しかし、その反面、わたしも適切な助言ができず、申し訳ないと思うこともあった。

クラス全体の印象は年毎にずいぶんちがう。今年の4年生は全般的に昨年・一昨年の実験実習から熱心に取り組んだ人が多く、卒論についてもそれぞれ熱心に取り組んだ人が多かったと思う。就職の点でも苦労の多い時期だが、4年生の諸君の能力はこれまでの卒業生と比較しても高いと思う。

もっといろいろ話したかったのだが、ともかくおめでとう。新しい環境のなかでもベストをつくしてほしいと思う。


2000/2/13(日)雑誌付録のCD-ROM

CD-ROMが出始めた頃は高価でもあり、高密度の情報が収まっているということで大切に保管していたものだ。雑誌の付録になってしまってから久しい。パソコン関係の雑誌に付録としてついているものは資源ゴミ分別のために雑誌からはずして、紙袋にためている。雑誌は「資源ゴミ」なのだが、CD-ROMはたぶん「もえないゴミ」あつかいになるのだろう。同じ規格の素材なので、なにかに使えないものかと。

あまり有効なリサイクルにはなりそうもないなあ。


2000/2/12(土)It's a SONY

昼前にVaio N505ASが届いた。結局Vaio 505シリーズのどれかということで、小型の方の505ASを選んだ。外見デザインはこのシリーズがバランスがよい。Sonyに「期待」しているとおりのデザインで、これは「見た目」でパソコンが売れるわけだ。造形にはどことなくPowerBook 100の「面影」があるように感ずる。

段ボール箱から取り出すときの手触りは金属性の冷たさで、C-1XEよりも表面積は広いので、これなら放熱効果はよさそうだ。初期の505をさわったときにはタッチパッドにどうしても慣れず、購入に至らなかったのだが、ASでは自然な応答で非常に使いやすいタッチパッドになっている。

一般論だが、パソコンは実際使うものだから「鑑賞用」デザインだけではちょっと困る。実用的な性能であることが大切だし、問題はやはり「中身」ということになる。現在はハードとソフトにはトレードオフがあって、どちらかを優先するしかない。


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