大学往来 

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2000/2/29(水)閏

今日は400年に一度の閏年ということだ。太陰暦ではもっと複雑に閏月や閏年があるようだ。閏というのは「暦の上の季節と実際の季節のずれを調節するもの」(大辞林)と書いてあるのだが、この定義でよいのだろうかと思った(結果としてはそうなのだが、季節自体が変動するので)。それはともかく、どのようにしてずれが発見されたのだろうか。ずれを発見した人はエライなあと。

自由が丘バス停から大学へ下っていく途中にある歩行者用の信号が消えていたのはY2Kうるう年問題のせい?


2000/2/28(月)資格

ときどき心理学関係の「資格」について聞かれることがある。聞かれるたびにまとめておこうと思うのだが、検索サイトで探せばかなり大量の関連サイトが得られるため、ネットで検索してみてはどうかという答えをしてきた。(すこしずつまとめる予定ですが、すでにまとめてあるサイトがあればご教示ください)

学部卒で得られるのは日本心理学会認定の「認定心理士」である。今後はこれを「基礎資格」にして各種の資格が得られるようにとの動きが始まっていて、この3月をめどに原案を作成したいということだ(「精神保健福祉士、臨床心理士・・・系17資格 心理学資格統合へ 31学会が合同会議」東京新聞・夕刊・99/10/30)。

心理学関係の専門的な資格の多くは学部を卒業して(基礎資格として「認定心理士」を受けて)、さらに大学院ないし専門の養成機関に在学したり、研修を受けることが必要とされている。必ずしも心理学専攻の学部を出ていなくともよいものもある。

現在、国家資格は精神保健福祉士(PSW:財団法人・社会福祉振興試験センターhttp://www.sssc.or.jp)と言語聴覚士(ST)の二つである。

これ以外に各学会や協会が認定する資格が15ある(認定心理士、臨床心理士、産業カウンセラー、学校心理士(スクールカウンセラー)など)。そのほか専門学校などで独自に認定している関連資格もあるようだ。また、一般的には「心理」らしくないが実現すればよいなあと思うような新しい分野の資格も考えられる。 

知覚・認知心理学に関係した資格としてはつぎのようなものがある。

社会の中では心理学単独で解決できる問題ばかりではないと思う。資格のことを考えるたびに思うことは、心理学単独の資格も大切かもしれないが、心理学の資格が本当に社会的に受け入れられるためには、関連した(他分野の)資格間でしっかりとした「業務分担」が規定されなければならないのではないか、ということである。

昨晩、資格関係の検索をしていたときに丁度NHK ラジオ深夜便で言語聴覚士関係の話題が取り上げられていた。国際医療福祉大の方ともうお一方が出演されていた。言語聴覚士の職業上の問題は、医療上の「点数」が他のものに比べて低いということが指摘されていた。たとえば理学療法などの1/3程度になっていて、言語聴覚士の普及の制約になっているということだった。これは健康や治療についての考え方を反映しているものだろう。しかし機能上の「治療」も、予防のように重要であると認識されるようになると思う。


2000/2/27(日)「閑話休題」

昨日マックOS用ATOK13のバージョンアップの申し込みをした。丁度今朝の朝日新聞のコラム「閑話休題」は「ワープロ廃止論の重み」というタイトルで、ワープロは思考をさまたげ、インターネットでの個の発信は孤立への不安からではないかという内容のエッセイだった。

「ワープロは思考をさまたげるか」という疑問については、漢字変換ソフトへの嫌悪感の表明であると思う。しかし、「手書き」をするか「漢字変換ソフト」をつかうかは、「習熟」の問題だと思う。思考は漢字に制約されるわけではないと思う。校正で「同音異義語」に気が付きにくいのは漢字で考えていないことの現れであるように思う。このような思考形式自体がけしからんということだろうか。コラム氏は「手書き」が「エライ」のであるという感覚をお持ちのようだが、ある表現を実現する手段は多様なのだということを述べれば十分だと思う。(毛筆などできれいな字を書ける人は率直に尊敬しています。)

私自身は「漢字制限論者」なので便利な漢字変換ソフトがどんどん進歩してしまって「漢字制限論」には逆風になっていることが、コラム氏とは立場が異なるがちょっと残念に思っているものでもあります(研究用途には「超漢字」システムがあります)。

「文学というのは書字の運動」だ、というある書家の方の言葉を引用されているが、もし書字として漢字かなまじり表記だけを対象にしているのだとすると「文学」というのは大変狭いものになるのではないかと思う。

「本当に発信すべき「個」はあるのだろうか、、、仮想の人間関係を確認し、自分は孤立していないと安心したいばかりに、発信を続けている」のではないかという理解の仕方について。そのような発信もたしかにあるだろう。また、われわれには、経験を共有したり見聞きしたことを他の人に伝えたい、という「欲求」も有り、言葉の大切な働きと思う。新聞も同じではないかと思う。

発信すべき「個」ということばでひょっとしたらコラム氏は「情報発信は新聞社」にまかせておきなさいとでもいいたいのだろうか。個人には発信すべき情報などないのだと。新聞記事も最近では署名記事を増やしているということを聞いたことがある(実際に署名記事が増えているかは不確かですが)。これは個人の発信が面白いということを理解しているからではないかと思う。

(余計なことだが、本文で例に挙げられている「飴が降る」・「あめが振る」という変換をする漢字変換ソフトはどれのことだろう。ATOK12では「雨が降る」「飴が降る」になるようだ)

「閑話休題」というのはなんだか「ひまつぶしのおしゃべり」のような意味だと思っていたら辞書(大辞林の電子ブック版)では「ところで」、「むだな話しはさておいて」とか「本筋にもどって」というような意味だ。コラム氏の本題がこの後どのように展開するのか分からないのだが、インターネットという新しいメディアが普及しているこの時期は、現在の新聞のあり方や新しい新聞のあり方を考える良い機会なのではないだろうかと思う。


2000/2/24(木)進路の相談

知り合いから子供さんの進路について相談を受けることがある。東京の郊外に住むT夫妻のお子さんは高校生で、英語圏の国へホームステイの経験があり、将来は好きな英語を生かせる仕事をしたいという希望をもっている。しかし大学には行きたくないという。それでどうしたものかという相談である。実務において英語で仕事をしている人に相談をして、常識的ではあるが次のようなアドバイスをした。

英語で生きていくためにはそれなりの実力が必要である。たしかに語学教育に特色のある大学以外では英語の実力をつけるには(カリキュラム以外に)個人的に相当な努力をしなければならないと思う。もし大学に行かないというのなら、しっかりした語学専門学校にいって英語のベンキョウをしっかりすることが必要だと思う。ただ、言葉は単なる道具ではなく人と人を理解し結びつけるものであるから、その人の文化やいろいろな背景を知ることが必要だし、同時に自分の文化や背景を知って自分のことを説明できることが必要だと思う。だからもし専門学校へ行った場合には、(たぶん専門学校では時間の少ない)歴史や文化や芸術や科学のことも学んでおくことが必要で、これらは仕事の上でいろいろ役に立つことになると思う。

私の大学時代の友人で英語が非常に良く出来る人がいた。s君は卒業後郷里に帰り英語の教師をしている。私の大学では英語が良くできる人が多かった。とにかく私が試験の時間中うんうん考えている問題を15分くらいで書いてしまって提出して、しかもほとんど満点といった人たちがいたことに大変驚いたものだ。(ああうらやましい)

s君には英語をつかう非常に強い動機付けがあった。それはパイロットになるという夢だった。航空無線とか管制の英語とか非常に詳しかった。英語の実力もかなりのもので学部在学中には通訳ガイド試験に合格していたし、航空管制官の試験もたしか合格していたのである。だからかならずしも特定の学校を出なくとも実力をつけることは可能であると思う。実際、私たちの大学は特別に語学教育が優れているというわけではなかったように思う。彼にとっては英語をベンキョウすることは「楽しみ」や「喜び」であったのである。

しかし、そうでない場合には独力でベンキョウを続けるのはなかなか困難だろうと思う。それで、英語の教育方法に長けた学校(大学でも専門学校でも)にいくのが意志を継続するためには、やはり良いのではないかと思ったのである。

進路相談の本人はとてもしっかりしていて、進路について自分なりに考え、情報をあつめ、それらをもとにして自分なりの判断ができる人だと思った。このような比較的はっきりとした希望をもっている人にとっては大学はあまり魅力的なものとして映っていないのだ、ということを知ったのである。


2000/2/23(水)構成概念

午後から会議二つ。一つは年度末のいろいろな議題について。もう一つは新学期にむけての準備。

昼休みにJ教授に共分散構造分析について聞かれる。私は表面的な知識しかないのであるが、J教授のようにとりあげる指標が明らかな分野では威力を発揮するかもしれない。しかし心理学の分野では「構成概念」により「説明」するスタイルの研究の有効性や、研究方法そのものについていろいろな意見があると思う。「複雑な」データを扱わざるおえないばあいにはデータの縮減という点で有効であると思う。新しい問題についてはこの点で有効だろう。むしろ、「グラフィカル多変量解析」に書かれている「モデルを棄却する手法」としての役割が重要だと思う。提唱されるモデルはすくなくともこのテストを通過しなければならない、という意味で。

大学院の研究法は学生のバックグラウンドと研究領域が多様なため、共通する話題として統計的方法と因子分析の基本をそれぞれ半期ずつやっている。共分散構造分析までとりあげてくれないか、というサジェッションだったのかも。

方法の概観については「AMOS、EQS、LISRELによるグラフィカル多変量解析:目で見る共分散構造分析」(狩野裕著、現代数学社 1997)をテキストにして、計算そのものはソフトウエア(AMOS)を利用すれば、ある程度はカバーできるかもしれない。

AMOSについて先頃バージョンアップの申し込みをしたのだが、どういうわけかファックスが送れない。事務方のNさんにもいろいろやってもらったのだが、こちらのファクスとSPSS社のファックスが「相性」悪いらしい。電話線の交換機の問題かもしれない。で自宅から送信した。いまどき、こんなこともあるんですねえ。


2000/2/22(火)予想問題集

本やで「言語聴覚士」の国家試験問題集というのが目についた。授業(知覚心理学)では関連する重要な話題として、後期に聴覚の単元で取り上げている。しかし、実際に「予想問題集」を検討したことはなかった。心理学関係の出題の割合が高いようだ。来年度はこのような「予想問題」を授業の中に取り入れてみようかと思う。出題範囲は授業で対応できる範囲だと思う。ただし、実際の資格取得にはいろいろ条件がつけられているのが残念な点だ。

新学期までの期間、更新が不定期になると思います。更新の際はぜひどうぞお立ち寄りください。


2000/2/21(月)「大学院唯野教授」?

あるWeb日記で紹介されていたこのページ。「文学部唯野教授」のようなフィクションであればよいのだが。


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