大学往来 

■大学往来インデックス


2000/10/29(日)往来

新猿人名称の投票で「日記往来」が2位だという。この「日記」名と似ているけれど、応募したのは私ではありません。「和風」をもじったWahoo!が首位ということだ。「web人間関係」に特化した「総合サイト」をもくろんでいる様子もあって、順当なところではないかと思う。「和風」の名付けの由来はなんだろう。和(輪)wa-who、(もしかしてwa-fool?)というような和製英語な語呂合わせもあったのだろうか。でもいざつけようとするとネーミングというのはなかなか難しいものだと思う。

新名称について、往来というのはほとんど使われていない言葉で、こんな言葉を思いつく「お年がしれる」という意味のコメントもあったので、私も新しい名前と新企画で出直すかなあ。

私が往来という言葉の意味を知ったのは、昨年読んだ「「学び」の復権:模倣と習熟(辻本雅史、著)角川書店」という書物による。ひとつには日本近世の私塾である「手習い塾」(寺子屋)が個別指導を基本としていた姿や(時代劇での教室的な風景はまちがいらしい)、教育の目標が「往来」(手紙のやりとり、読み書き)にあったという点が、現在のWeb環境に似ていておもしろいと思ったからである。また、同書でふれられている「現世利益を得るための教育システム」を現実の大学は指向している傾向がある。現実としてこれは当然のことかもしれないのだが、「伝統的で自主的な学びのシステムの復活」がWeb環境で今日的に実現できるのではないか、という空想もしているのである。

自宅のPCノートパソコンを Windows2000に。これに対応したVisor用のPalmDesktopがやっと公開されたので、ダウンロードした。なんと30メガバイト。「高い・おそい」のISDNで2時間ほどかかったが、こんなことも定額制になったからやってしまうのだろう。ADSLなら10分ほどか。


2000/10/28(土)「人文系大学院」

「人文系大学院」については複雑な思い。

私の年代では工学部系統では半数以上が進学していたが、人文・社会系はごく少数だった。ただし、私の所属した専攻の同級生は18名だったが、この年は進学者が多く、他の研究科への進学も含めてほぼ半数が進学して、それぞれ大学や研究所に勤めている。

しかし大学院にはいろいろな事情で行けなかった人、やめざるを得なくなった人など身近な友人の例もある。こんなことを言ってもなんにもならないのだが、私自身も程度の差はあるが一時的にせよ類似の感情をもったことがある。

いま勤務している大学の大学院は人文・社会系・生物系を含む比較的広領域の大学院である。私は「兼坦(兼任)」していくつか科目を担当しているだけなので、「指導教授」という立場に比べると「気楽」な立場なのであるが、それでもたまには研究科の体制の問題について思うこともある。(卑近なことではデータの事後処理についての相談が一番困惑するものである。実験や調査の計画がきちんとされていないのではないかと思うことがある。)

定員はたしか10名ほどだったと思うが社会人入学生が比較的多い傾向にある(今年はまだ確定ではないが)。社会人、特に医療系の学生の場合には修了後には元の職場にもどるにせよ、職場を変えるにせよそれなりに「ステップアップ」に役立っているようだ。医療系の学生は、人文・社会系の学部出身の学生の場合にはかならずしもそうではない、ということに驚くひとが多い。わたしなどは大学院をでて就職にこまらない、という人たちをみて逆に驚いたものである。これは分野の社会的な体制の違いによる。

大学の求人はこれまで当然ながら「専門分野」が特定されている。しかし、大学もかなり変化してきて、学部が広領域化する傾向にあったり、将来大幅な改変も予想されるし、学問自体が相当変化するだろう。若い人の採用の場合に従来の方針が最善なのかどうかかんがえてみることも必要なのかもしれない。(基礎的な研究をじっくりやることができるような就職環境が必要という意味で)


2000/10/27(金)「罪と罰」。まとまりませんが。

朝日新聞は少年犯罪の抑止についての記事を連載している。今日は4回目でシンガポールでの対策を紹介したものだった。「『刑罰』みせて防止策」というタイトルで、「恐怖心を植え付けても逮捕者は再び増加傾向」という記事だった。

シンガポールででは「保護処分」などを受けている少年を対象にした刑務所の見学を行うプログラムがあるそうだ。刑務所や刑罰(むちうちなど、実際にはダミー人形で「実演」)を見せることで「恐怖心」をうえつけ、犯罪の抑止にしようとしている、という。

記事のなかで、シンガポールでは「少年の逮捕者は今年上半期で756名で、前年同期比で7%増加し、、、95年を底にして、減少してきた逮捕者数は昨年あたりから増加に転じている、と述べている。逮捕者数そのものから犯罪が増加しているとは必ずしもいえない。新聞記事は「科学的」な論文ではないのではあるが、昨年度比のみでなく全体的なデータの推移を述べるべきではないかと思う。

記事の「主張」は恐怖心をうえつけても犯罪の抑止にはならない、ということで、厳罰主義への反対意見である。記事の後半に、社会的背景として、経済格差の拡大が指摘されている。

「代議士保坂展人」氏のコメントは「厳罰化に抑止効果なし」とするもので、犯罪の原因は「内側に秘めた破壊衝動が犯罪に突き動かす大きな要素」で「心の問題」であるから「学校にカウンセラー」をいれたらいい、と述べている。

このような「罪と罰」の関係についての議論には、罰については一定の効果をあげるはずだ、という暗黙の主張と、保坂氏の意見に代表される見方がある。罰の効果を信ずる傾向があるのは一部分は経験的な知見であるからだろう。一方「こころの問題」でもあることも事実だが、それが破壊衝動かどうかはわからない。セルフコントロールの可能性についても一部分は経験的な知見に基づいた見方にはちがいない。

でも、わたしにはこれらの議論を聞いたり読んだりするとき、なにか議論がとんでいると感じる。過度の単純化や個々のケースとその一般化に飛躍があることから生ずるものではないかと思う。

国名は忘れたがいまでも実際に公開の「むちうちの刑」を行っている国がある。このような国では犯罪の抑止になっているのだろうか。シンガポールの厳罰主義は前首相が旧日本軍から学んだと回顧録で述べていると書いてある。侵略を受けた側として、その真意はどこにあったのだろうか。


2000/10/26(木)情報格差

午前中、都内のJ大学へ校務出張。昼食のときに(学部がちがうので普段あまり話す機会がなかったのであるが)ある会合でお会いしたC先生が先日は「コメントありがとう」とわざわざ挨拶にこられた。議論のあとでこのような行動がとれるヒトはいいなあと思う。

仕事は昼過ぎには終了した。時間があったのでJ大学の図書館にはいり、まえから探していた文献を検索。建物は以前よりもはるかに大きくなり、レファレンスカードがコンピュータ化されて新しくなってはいるが、本質的にはあまりかわっていない。雑誌のバックナンバーを開架式の棚からさがす。コピーしてまた棚に戻す。

このような比較的大規模な図書館があるということは非常に大切なことだと思う。紙のメディアが主流であるかぎりはこのような大規模図書館にはとうてい追いつくことはできない。情報格差はこんなところにもある。

図書館相互の共同利用の文献複写サービスがあるにはあるのだが、適正な料金をもってこのシステムをもっと手軽で簡便なものにしてほしいと強く思う。


2000/10/25(水)立場

午前中卒論実験のプログラム。AVタキストスコープをつかってやる実験なのだが、今年は画像を刺激としてつかいたいということで準備していたのだが、バッファーメモリーが予想外に小さいことに気が付いた。すぐには対応できないので、刺激数を減らして実施するように相談した。実は昨年度メモリー増設の見積もりをとったのだが、メモリー市場の価格とあまりにもかけはなれた高額だったため見送ったのであった。今年あらためて問い合わせたところ、来年から新型が発売されるということで、ハード類の増設が不可能になってしまった。けっして安い装置ではないし、特殊なものなのでアフターサービスがないのは非常に痛い。製品の供給を中止するのなら、メーカーはユーザーの立場にたって、仕様を公開してもらえないものだろうか。分解してみるつもりだが、特殊部品がつかわれていないことを祈るのみだ。昔、やはり心理実験器具をつくっていたあるメーカが7400が一個(当時は50円くらいだったか?)はいったボックスをべらぼうな値段で販売していたことをチラと思い出した。

午後から院・適応学。空間情報を聴覚情報によって提供する盲人のための感覚援助装置の話と知覚発達の話題について。学部卒のヒトには学部で一度話している。おもに医療関係者に心理学との接点の所在を提供するのが目的である。

夕刻から会議一つ。立場がちがうといろいろとよくわかることもあるなあ。自分が当事者だとこのあたりがよくわからないのは何故なんだろうなあ、と思った。


2000/10/24(水)講演会

午前中院・研究法。平均値の差の検定。統計的仮説の検定についての基本的な考え方、用語を説明後、例題を解説しSPSS実習。午後から学部研究法は因子分析の概念的な説明。結局「複雑さに挑む科学」(柳井晴夫・著、ブルーバックス)のデータ例で説明。この種の「入門」本ではHOW TO に傾きがちか、または反対に、初心者にはむずかしい内容になりがちな傾向があるが、この本は基本的な考え方がわかりやすく説明がしてあるところが良いと思う。データ例はいずれもおもしろいが、調査時期の関係で若い人にはちょっとなじみが薄い面もあるのだが、これは「実習」データで補うとよいと思う。ただし、「直感的」な説明ではなかなかがてんがいく、というところまで行かないかもしれない。この点は時間的な制約でやむを得ない。

午後からの院・特別研究は修論の中間発表会のため休講。つづいて、J大W先生ルートでアイスランド大学のM先生の講演会。行動の時系列パタンの分析方法についての話だった。既存の方法ではなく、行動の研究に適切な方法を開発したいという点には共感。彼の方法はパタンの発見についての「発見的方法」ではあることはたしかだが、パタンの構造の定義に任意性があるように思った(これは避けられないことかもしれないが)。パタンの構造を検出できるアルゴリズムがあれば適用してみたいデータが一つあるのだが。講演はパワーポイントをつかった「グローバルスタンダード」な形式で、シンプルな構成でよいプレゼンテーションだった。


2000/10/23(月)証明

午前中は実験実習1のプログラムの小修正と卒論実験のインストラクション。AVタキストのコマンドの復習(夏休み前から時間がたって記憶もすっかり初期状態になってしまった。)画像刺激の加工(刺激の配置の加工とjpegファイルをBMPファイルへ変換しなければならないので)の相談(いまごろこんなことしていていいのだろうか)。

午後から実験実習1。マッカロー効果の被験者をやった経験のないインストラクタも被験者に加わって実習。前回グループと同じ条件で。ただし刺激の組み合わせをバランス。なつかしいルイ・アームストロングのCDを聞きながら順応。順応時間は10分足らずだが、眠気対策として音楽をかけたり、刺激やその見え方意外のことなら話をしていてもよい、ということにしているのだが、なかなか話のきっかけがつかめないようだ。私とインストラクターが勝手におしゃべりしている状態だった。

続いて実験実習2は因子分析のための小実験。被験者数がすくないので手法の理解のためのデータである。実習課題名は「SD法と因子分析」としていたが、時間の都合と分析法の説明を簡単にするために、単純な選好判断のみに変更した。刺激は同じで「世界の民族衣装」。これだとごく短時間で終了するので、実験後、のこりの時間内にデータ入力をすますことができた。

実験室の、購入して4年目くらいのプリンターの紙送りができなくなった(ヒューレット・パッカードの DJ850C)。4台ほど購入していたのだが、数年にわたる時間的なズレはあったが、3台がほぼ同じ症状の故障となった。しかし、数万円のプリンターが共同使用で4年ももてばむしろ十分なのかもしれない。

昨日からななめよみしている「東大・けんか」の続編「結婚しません」(遙洋子 はるか ようこ・講談社)もおもしろい。なぜ男性用のロッカールームの掃除は女性がすることができて、女性用のロッカールームの掃除は男性ができないのか(と、思うのか)、というような疑問がすこしははれる。

こころに残ったことば。

「愛をはじめ、証明できないものが過去にどれだけ利用されてきただろう。無意識、天の声、真理、血、人種、本能、自然、、、。ある!と言われれば、信じるしかない。証明できないからこそ、利用できる。それらが、過去から今現在に至るまで幾万の悲劇を生んだことだろう。(221ページ)」


 

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