大学往来 

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99/06/13(日)欲しいときにはモノがない

昨晩は、読んでいなかったある雑誌のなかに関係論文を偶然発見。一つはJさんの卒論のテーマで共感覚についての論文。もうひとつは系列化についての論文。参加申し込みの予定のある学会の申し込み用のアブストラクトを書く。最終的には最後のコントロール条件の実験結果にもよるのだが。

先日届いた行動計量学会誌はQOL(生活の質)関係の論文。行動適応学で話している内容に関連しているので取り上げてみようと思う。

午後からスポーツセンター。一時間ほど軽い運動をした。帰り道のC-Youに立ち寄る。目的のモノはやはりない。個人的には、買いたいモノが買えないということがよくある(ような気がする)。よほど「情報操作」を受けているのか、モノの流通の仕方が悪いのか、変なモノをほしがっているだけなのかワカラナイのだが。

なにか飲みたくてデパートの喫茶店を覗いたのだが、良く立ち寄る二店とも満席。なんだか駅ビルなど非常に込み合っている。


99/06/12(土)

授業進行状況の更新。もう少しくわしく書くべきか。

昼から近くのコンピュータショップを巡回。どの店もボーナス時期のためか客足は多い。T-Zone柏は展示商品が少なくなった印象。CompMart柏はMac売場拡張。iMacも扱うようになっていた。新PowerBookG3も一台展示してあった。今日から発売とのことだが、予約受付中の張り紙。C-Youはのぞくことができなかった。実は別のモノを探していたのだが、探しているときにはモノがない。


99/06/11(金)効果音

映画RONINを見た。ストーリーがちょっとわかりにくかったが、「実写」のカーチェイスはたしかにCGとはちがう迫力がある。映画そのもののコトではないのだが、小さい映画館のためか音響設備に難ありだった。低音の効果音が多用されていたのだが、スクリーン正面から低音が来るように聞こえて不自然な感じだ。低音はやはり下の方からせまってこないと臨場感がそこなわれるのではないかと思う。赤穂浪士のハナシがでてきたり、ナレーションがはいったりと、クロサワ監督の影響でもあるのだろうか。

映画の始まるまえの広告フィルムのなかに最近なにかと話題の多い「文部省生涯学習局」提供の広告があった。内容は、農林省と協力したという自然教育村のような施設のなかで子ども達が自然のなかでいきいきと遊ぶ、というような内容だった。「ゆとり」の時間はこの休暇村を利用しましょうということだろうか。


99/06/10(木)役にたつこと・料理実習・新聞記事

朝車中でレポート読み。午前中知覚心理学。きょうは新生児・乳幼児心理物理学の研究と測定法のハナシ。後半はちょっと内容から逸脱するが、これらの応用的な研究例を話した。感覚知覚障害の早期の発見と発達過程の理解に寄与していることなどを話した。

--なんでそう、役にたつことにこだわるの。

おっ、いつのまに。

--それジタイ、キョウミふかいトいうことデ、イイのデはナイカ。

そうだねえ。込み入った話や「専門的」な内容については、まだ「役に立つ」ことを背景にして話しているのかなあ。でも研究の結果として役に立つことはやはりすばらしいことだと思うんだよね。ところで、今日はなんだか口調がロボットっぽいな。

--ちかごろ猿人界にいろいろ出張してイソガシイ。

あーあいっちまった。

授業の最後に、講義の進行状況についてホームページに公開していることを話して、URLを案内した。午後から卒論・ゼミ。来週あたり夏期集中講義の日程が発表になるので、合宿の日程について相談。今年は昨年に続いて研究所を見学する予定。これも昨年度と同様に、日程があえばU大学のNセンセイの研究室と合同で開催。

昼休み、K学部のI講師らと昼食。Iセンセイは地域圏研究を担当されている。講義の一環として、ロシアの単元で短大の調理実習室を借用してロシア料理を実際につくってみる、と話されていた。レシピを見せてもらう。「亡命ロシア料理」という本(翻訳)があるのだそうだ。ボルシチとロシア風の餃子(ラビオリ風のもの)を予定しているとのことで楽しそうで良いなあ。

夕方、実験プログラムの修正。昨日思い浮かんだ条件で実験するのため。

昨日の学校と塾の問題について愚一さんは(今日の日記で)「答申」そのものを読むとどうも報道内容とはかなり異なると言っておられる。新聞記事は、話した内容とまったく異なる記事内容になってしまうというハナシをよく聞く。今回のもそのようなコトなのか、文部省側の意図的なリークなのか「真相」はよくわからないとのこと。新聞記事には注意して、鵜呑みにしてはいけないなあ。


99/06/09(水)学校と塾

登校するバスのなかで実験実習1の実験条件について思い浮かぶことがあった。次回の実験グループで検討することに。午後から委員会二つ。昼過ぎ雷雨。

学習塾についての「答申」(文部省生涯学習審議会)の記事と、調査データ(朝日新聞夕刊一面)。「学校の授業はよくわかる(小六、24%、中三、7%)、塾の授業はよくわかる(小六、45%、中三、34%)」「がっこうはうるさくて集中できない。塾に来てやっとベンキョウできる」など。おそらく塾のほうが個人毎にきめこまかく対応しているのだろう。また、「能力」別クラスを編成しているだろうし、アンケート結果はまあ当然だろう。中三の数値がちょっと低すぎるのは心配だ。初等教育では、公教育でも塾ナミの数値になっているべきだろう。(「この調査結果を解釈して、この調査の(考えられる)問題点をのべなさい」というのは心理学研究法の試験問題にもなりそうだなあ。)

ちょっと驚いたのは「学校は騒がしいし、いろんな子がいてベンキョウがはかどらない。塾にきて初めて集中できる」と考えるコドモがいることだった。いろんな子がいておもしろい、というふうにはどうもなっていないようだ。またまた老婆心ながら心配なのはこの答申のことではないが、公教育の水準を低めに設定しようとしていることだ。公教育は学習塾を無視してきたそうだが、これでは自ら塾や進学校の隆盛を助けているように見えるなあ。もし公教育が教育困難に本気で取り組むという意志の表明なら尊敬に値するが。


99/06/08(火)電算室でのハナシにくさ

心理学関係のあるメーリングリストに「21世紀は○○計量学の時代」で、統計学がその基礎になるという趣旨の講演?へのコメントが寄せられていた。その方は数理モデルの専門家なのでその方面からのコメントで、統計そのものよりも数理モデルが基礎になるのであろうという内容であった。私はむしろ○○計量学がそもそも○○を計量していないことに「問題」があるように感じている。

昨日「自動食器洗い機」をすすめたB教授にお会いしたので、調子はどうかと聞いてみた。すすめたてまえ、もし「落ちがよくない」ということになったらどうしようとちょっと心配だった。しかし、最初は乗り気でなかった奥様も便利便利ということですっかり気に入っている、とのことで安心した。キョウジュの食後の仕事も楽になったとのことだ。「茶碗の裏のところがすっかりキレイになった」ということでやはり手で洗うよりも良いのかもしれない。ちゃんと「予洗」もされているようすだ。卓上型のものでも性能は問題ないようだ。B教授宅はお二人(と一犬)であるので小型のもので十分まにあうとのことだが、大家族だと小型のものでは一度で洗えずかえって不便かもしれない。「自動食器洗い機」は使ってみると「なんでいままで使わなかったのだろう」と実感する、ちかごろ珍しい商品だと思う。

午前中、午後の研究法の電算実習でつかうデータ表の整理とSPSSのリハーサル。学部の研究法は電算実習で相関係数と散布図の作成。相関係数自体の理解が不足している学生がおよそ1/4くらいか。それでも「かたち」からはいって、とにかく SPSSでデータ入力、計算処理、アウトプット。来週出力結果をもとに再度解説する。

各学生は一人一台のパソコンにむかっている。教師の画面やOHC画像を各自のディスプレイに「放送」できるのだが、どうもパソコンにむかって説明しているような気分だ。慣れないせいかどうもやりにくい。ヘッドフォンで音声も放送してみたが、やはりヘッドフォンはわずらわしい。パソコンノイズが高いのでマイクとスピーカーの設備があると良いと思う。学生は自分のディスプレイを見ているので、「板書」そのものは見やすいようである。

つづいて大学院の研究法。こちらは受講者が少ない(9名)ので電算室でも説明はしやすい(使っているQ棟の電算室は40台程度の設備がしてある)。しかし、やはりパソコンにむかって説明しているような気分。演習室と電算室をだいたい隔週程度で交互に利用している。「講義」と演習は黒板の大きい演習室で行いたい。しかし、このところ暑くなってきたので、冷房完備の電算室のほうでやりたいという学生の希望があった。たしかに、説明する方は少々暑くても平気だが、聞いている方はタイヘンかもしれない。

30度を超えるとだいたい「防御」反応として眠くなるそうだ(気温ばかりではないが)。冷房がはいる普通教室はごくわずかだ。なんだかパソコンを特別待遇している感じだ。以前、冷房設備は「高価な電算機」のためなら認められたという笑い話みたいなことが実際にあったのである。最近は公開講座などで夏期にも教室が使われるようになってきたので少しづつ設備されるようになってきてはいるのだが。

電算室では教員のパソコン画面を学生のディスプレイに「放送」できるので、操作の仕方を示すのは非常に楽である。しかし、一般の教室では一応学生の様子を見ながら説明できるのだが、電算室ではハナシにくい感じがするのは、顔がみえないからだろう。

さらに大学院の講義。三名登録しているが、一名体調をくずし、一名は宿題に手が回らずで、結局一名が出席。健康心理学関係の実験的研究についてのハナシをする。ほかのセンセイはきわめて少人数の講義をどのようにされているのだろう。年度によっては学生と私の研究対象が一致することもあり、半期の間、実験とその結果の検討にあてるコトもある。大学院ではこの方式(研究・実習・演習方式)が「生産的」で良いのかも知れない。

昼休み K会議議事録の打ち合わせ。校正を終えて事務方へ。明日校正部分が直されているかを確認すること。


99/06/07(月)「言語技術」

昨日のちはるセンセイの日記(http://member.nifty.ne.jp/printempo/)は「大学教育学会」の様子が書かれていた。たぶんちはるセンセイが学会の様子を書いてくれるのではないかと「期待」していた。

わたしも木下是雄氏の本をよんで「レポート」の書き方のハナシなどをすることもあるので、木下氏のコメントには興味津々であった。ちはるセンセイの日記から木下先生のコメントをうかがうと、「書くことには三つの目的がある、すなわち、人に事実を伝えること、人に自分の考えを伝えること、人に自分の気持ちを伝えることである。」このうち「日本人」は気持ちの表現にはすぐれているが、事実と考えを伝える技能は劣っているということだ。特に、「文章を上から下に読んでいったときに、すっと頭にはいってくる」ような文章をなかなか書くことができない。実験実習のレポートはまさにこの「事実と考えを伝える」文章の訓練だ。実験実習のレポート作成の時にこのハナシをしてみようと思う。(雑誌『日本語学』(明治書院)1998年12月号(木下氏寄稿)が紹介されていた。)

「事実と考えを伝える」ガクモンの世界はコスモポリタンなものなので、英語を母語としない研究者は外国語としての英語の「障壁」にも苦しんでいるのではないだろうか。ただし、「外国語」の障壁のせいにできない問題がたしかに存在している。わたしもたまに英語の論文を書くことがあるのだが、「翻訳」を相談しているM氏にはいつも私の日本語がロジカルでない、と指摘されるのである。これなどは木下先生の言われる「言語技術」が未熟なことの実例だ。

しかし、「わかりやすさ」はなかなかに難しいコトガラでもある。以前「日本語」は論理的でない、というような言説をたびたび聞いたことがある。特に「英語教育」に関わるセンセイのお書きになったものやハナシの中で。それは「主語」がないとか、そのようなコトだったと記憶している。しかし、たしかサピアの本のなかには、日本語は二つ(複数?)の主語(主題)を許す構造をもっていて、英語などとは異なる可能性をもったコトバだ、というようなコトが書いてあったように記憶している。だから、ロジカルというのは言語によるちがいによるものではない。

わかりやすい(ロジカルな)文章や表現というのは、どのように書いたらよいのかわからないのだが、良い実例にあたるとたちまちわかる。また、反対に「悪文」も悪文であることがよくわかる(この日記も?話題が脈絡なく飛ぶ)。自分の書いたモノを読んで、この点を判断することができるようになれば少しはわかりやすい文章が書けるようになるのだろう。他者の目で読むということだが、これを一人でやるには「対話式」で推敲してみることが有効なのではないかと思う。

--ダカラあ。

いいえベツにイ。

午前中、実験実習のレポート読み。午後から実験実習1および2。今週は実験実施の週なので、3コマ連続で実験。実実1の実験テーマは順応時間が比較的長いものなので今日は音楽をかけてみた。暗室条件にした小実験室に5名ほどはいって実験をするのだが、被験者になっている間、お互いに、実験の目的以外のことなら、話しをしても良いといっているのだが、こう言われるとむしろ話しにくくなるようだ。


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