大学往来 

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99/09/25(日)「論文のかきかた」

数年前からいろいろな理由でまとめることができなかった論文をこの夏に書いている。しかし、やはりいろいろなところでつまずく。それで、マイケル J. カッツ著、桜井国朋(訳)、科学英語論文の基礎作法、朝倉書店という本があることを思い出して、おぼれるものは、、という感じで読んでみた。

いま書いているのは日本語の論文なのだが、この本は非常に具体的でいろいろタメになった。たとえば、14章序論というところでは、英文例が掲げられ、要所に「一般的な現象に関する言及と、古い文献の参照から成る段落を作ります」、というようなアドバイスが入っている。次は「読者自身に最近の観察結果と、研究領域全体を貫く現在の考え方とを通暁できるよう、十分な出典を用意します」

「次に、一般的な問題を設定する作業をします。」

「ここで、どんな一般的な実験法が解答をもたらすかについて記述します」

「一般から特殊へ、、、と進み、論文中で提示したいと考える最も重要な特別の疑問のひとつに対する簡単な言及のあとで、序論を終わります」

序論についてはある見通しは直感的にはあったのだが、どうもまとめきれないでいた。これらのアドバイスを書きかけの序論の部分に入れて、この質問に答えるという形で再構成する作業をしてみた。なんとか整理できそうな気がしてきた。


99/09/24(金)「ラジオ深夜便」

今週末9/25(土)および9/26(日)は日中(午前8時から午後6時まで)は大学のサーバーが停止する模様です。接続中継サイトの点検のためということです。本学は学術情報ネットワークに加入していて筑波ノードで中継されているようで、今回は筑波ノードが停止するためという案内が来ていた。

夜はラジオを流しておくことが多いのだが、今日の「ラジオ深夜便」は私の故郷の放送局からの放送だった。しばらく「帰省」していないので、懐かしく聞ききながら書いている。ラジオを通した、地元のゲストの会話を聞いて、ああ、あんな話し方だ、話し方だとうれしくなる。「東京方言」とは異なる母音やイントネーションを聞き分けることができる。話しの内容は「ふるさと」の作曲をした岡野禎一(ていいち、漢字不確か)氏の出身ということで「童謡・唱歌」関係だった。

子供の頃は音楽の時間がどうゆうわけか嫌いだった。しかし、こうして当時聞いた童謡や唱歌をあらためて聞くと、歌詞なども思い出し、本当になつかしい気持ちになる。歳がわかってしまうのだが、ラジオを聴くと懐かしい感じがするものに、各地の天気概況、ラジオドラマ、そして浪曲・浪花節がある。もう少し成長した中学高校ではラジオの深夜放送と落語が楽しみであった(なんだかワカモノらしくないなあ)。


99/09/23(木)ATOK13

Hさんの卒論アンケート項目案のメール。このような手直しには最適であるとあらためて感ずる。メールアドレスをもっている学生が多くなったので卒論相談にはいろいろ便利。実験プログラム修正はかどらず。

午後から「一太郎10+ATOK13」を買ってインストール。Windowsではワープロはあまりつかわないのだが、ATOKがやっぱりいいかなあと。「キャンパスキット」で7400円。「アカデミックディスカウント」のソフトを買うとき身分証明書を要求される店と、特にチェックのない店がある(単にパッケイジの違いに気づかないだけかもしれないが)。祝日のせいもあり店はけっこう繁盛していた。

ここで紹介されている最近始められたWeb日記を覗く。「書評」で週2回の更新を目標にされるということだ。私もすこしは勉強や研究に役立つサイトを目指すべきか、と思う。


99/09/22(水)「独立」

午前中から実験プログラム修正。2週間ほど中断してしまったので「調子」がもどらない。卒論相談1名。午後から会議。夕方卒論相談1名。

昼休み教員談話室で某国立大学出身のNさんと「独立法人化」のハナシをする。「独立」というくらいだから文部省の干渉は受けなくなるのだろう。ひょっとしたら私立大学の方が文部省の「ご指導」を多く受けているのではないかというはなしになった。最近は「規制緩和」で変化してきているようだが、新設や学部の名称変更などでさえなかなかできない、というハナシをよく聞いた。大学の教育や研究の将来を考えずにしたことは、やがて矛盾が噴出するに違いない。

■(9/24追記)このコメントについてはある方から「独立」についての無知について強い叱責を受けました。仮に独立法人化が実施されても国立大学が私立大学になるという意味ではありません。また、実際にどのような事態が進行しているのかお教えくだされば、と思います。

ここに見事な歴史学的教訓が書かれています。


99/09/21(火)「宿題」

ある会議の準備で登校。秋セメスター開始も間近になってきた。ひとつ「宿題」を残していてちょっと焦る。休み明けで宿題すませていないという気分。あと4日間なんとか悪あがきする。

紀伊国屋書店のWeb書店で注文していた、守一雄、やさしいPDPモデルの話:文系読者のためのニューラルネットワーク理論入門、新曜社が届いていた。「エピローグ」に心うたれるものがある。勇気をもってこのような本(この分野ではないが)を書いてみたいなあと感ずる。Webテキスト環境なら可能なのだから。


99/09/20(月)「日本型研究室」

全部見ることはできなかったが、午後NHKの教育テレビ人間講座(再放送、21世紀への英知「科学者の資質」)でノーベル医学生理学賞を受賞したムラド博士の研究室のようすが紹介されていた。このノーベル賞がポスドク集団の力をまとめたところにあるという観点から北里大学のセンセイ(ムラド研究室のポスドグをやった経験のあるらしい方)が研究室の様子を紹介する構成だった。

米国の研究室といっても非常に多様だと思うが、この研究室は意外なほど「日本的」な感じもした。テクニシャンをあまりつかわないで、ポスドク研究員らがほとんど自分たちで研究をすすめていく。教授もあまりこまかい点には口出しせず、研究員の自主性・独立性を尊重している。近い将来の独立のための訓練だとも言われていた。ポスドク採用の条件のひとつに「他の研究員とうまく協力できること」をあげておられた。研究にうちこみ競争し成果をあげるためには研究員の協力がひじょうに大切で、研究を楽しむ環境を維持するためにも重要なことだと言われていた。

しかし、教授や助教授のシステムは日本とは全く異なり、それぞれが独立して研究費を獲得し、ポスドクを雇い、研究成果をあげなければならない。ムラド博士の仕事の時間のうち、かなりの時間が研究費獲得に費やされている。教授や助教授は研究のプロデューサーや監督にちかいと紹介されていた。このように研究以外のことがらに時間をとられる事態に一度は大学を去られ、製薬会社に勤めたこともあるそうだ。

「競争」というのは無駄や意味のない仕事について考えさせてくれる、という意味で貴重であると述べられた。ムラド博士のような方でさえも、このような代価をはらっても自分のやりたいことができる環境を得ることは困難だ、と言われるが、(次回再放送・放送日不明)第四回は「好きなことをやれ」という続編である。

「文系」の研究室の様子というのはあまり報道されないようにも思うが米国ではどんな様子なのだろうか。

今日の新聞には「独立法人化」の記事。サイエンスの分野ではムラド研究室のようなスタイルも可能かもしれないが、「文系」研究室や学部の多くは非常に困難な事態を迎えるのではないだろうか。


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