大学往来 

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99/11/28(日)

数年前に組み立てたPentium-90の「ホワイトボックス」も動員して実験実習で使ってきたのだが、さすがにその後購入してきた新しい機種と比較すると動作が遅いと感じるようになってきたので、アップグレードすることにした。昼過ぎ近所のパソコンショップC-YOU柏店へ行き、パーツ類を購入した。基板は手軽なところでi810チップセットのオールインワンタイプのものにして、CPUは「贅沢にも」セレロン500(433程のものが安価で良かったのだが売り切れていたため)。自宅の近くのパソコンショップで部品が手に入り、こんなに簡単にアップグレードできてしまっていいのだろうか、と思うほどの手軽さである。

実際にはアップグレードをするよりもショップブランドやメーカー製の新しいものを購入するほうがむしろお得なのだが、部品であれば必要な部分の交換ですむのと、個研の範囲で調達できるため、今回はパーツのアップグレードにした(まあ、そういう理由もあるが最近の新しいパーツ類を手にとって見たかったという不純な動機)。

ふた昔も前にはコピー版の8ビットのパソコンが大体5〜10万円くらいだった。最近では同じ値段ではるかに高性能なパソコンが手に入るようになったわけだ。


99/11/27(土)

昨日は大学のサーバーが経由しているノードの停止のためアクセスできない時間帯があったようだ。

今日は午後からJ先生の講演会。関係者を対象にした会なのであまり「専門」的な話しでなく先生としてはソフトな一般向けの話題を選択されたようだ。数年ぶりの講演会ということで中教室は満席だった。

これまで先生が続けてこられた研究を取り上げて、他の分野からのデータもあげられ(これは学部時代にはあまりなかったような記憶がある)、人間の認識の源泉としての視空間の構造というような話しの内容であった。

しかし、個々の話題は明解で面白いものなのだが、全体として先生の言われたいことのホンスジがわからなかったという感想が多かったように思う。

先生の講義ではオリジナルのデータをあげるというスタイルをとられていた。私も、卒業研究のデータなどをできるだけ紹介し、このスタイルに近づけたいものだと、不十分ながら心がけるようにしている。

先生は米国の大学を退職されてからも名誉教授として米国にとどまられ現在も専門学会の活動を続けておられる。そろそろこれまでの仕事をできれば日本語でまとめたものを書いておきたいと言われた。

講義の準備にかける時間や労力は米国でのほうがはるかに大変だったと、正直に言われた。米国では書き取りにくい資料などはハンドアウトを用意するようになったと言われていた。たぶん内容ももっと単純化され整理されたものだと思われる。このような講義の形式をとられるようになったのはやはり米国の習慣によるものなのだろう。あるとき先生はMade in Japanの研究者として米国に渡ることになったという意味のことを言われたことがあるのだが、講義形式についてはMade in USAの方を採用されたということだろうか。(本学でも新しい学部におられる米国の大学育ちの若い先生は授業でかなり大量の資料をよく配布されているようだ。)

学生の頃に受けた先生の講義ではOHPやスライドなどで資料が提示され、むしろよく準備されたものだったと思っていたのだが、進度が速かったことが難しかった要因だろうと思う。講義の負担や時間など日米ではかなりちがうので一概には言えないが、大学で講義を改善するためにはやはり教員の負担の問題を解決しなければならないだろうと思う。また、予備知識を前提としない(せざるおえない?)講義システムについては日本でも似た状況になってきている面もあって、見習う点が多いように思われる。

懇親会は会場近くのイタリア風の料理店で。学年縦断的な同窓会の雰囲気で、学年のちがう旧知の友人や先輩先生などのお顔をひさしぶりに拝見することができた。このような会合では不思議なことなのだが、最初雰囲気が変わって誰だったか分からない人もしばらくするうちに知り合った当時の顔や表情に見えてくるようになるのである。最後に20何年ぶりに「応援歌」を歌ったのだが、歌詞をよく覚えていることにも驚いたし、多少の違和感も覚えるようになったのは時間の流れというものだろうか。


99/11/26(金)

夕刻よりJ先生の講演会へ。演題は「Fechnerの問題点をめぐって」であった。この話しを初めて聞いたのは「教養」の心理学の講義であった。非常によく印象に残っている。理論的な研究についてはJ先生の講義で聞いたのだが、当時は難しくてぜんぜん分からなかった。今日の話しは少しは理解できた(ような気がする)。米国での長い教員経験から、わかりやすく話されるようになったのか、手加減されたのかもしれない。

学生の頃、私の受けた印象では、先生の話し自体は非常に明解なものだったが、数学的な道具だては難しくほとんど理解できないものも多かった。それで、問題はある程度理解できても、研究のレベルまではなかなか達しない状態で、この方面の研究に貢献できるとはとても思えなかったものだ。

今回の講演では、学生のころとはちがって、この難しい部分はあまり触れられず、問題自体の話しをされたので、ついていけたのだと思う。そのためか、この分野には「理論的な」貢献のみでなく、実験によりなにがしか出来るコトガラがあるのではないかと感じたのである。

それでもこのような領域のベンキョウを続けようと考えたのは、いまから振り返ってみると、学生当時はよく理解できない講義ではあったが、ともかくも、「あこがれ」をもった講義であったからだ。

OHPは文字がちょっと小さくて、米国風ではなかったなあ。お元気そうであったが、声がちょっとちいさくなられて、時間の流れも感じた。この講演会には、ある「異業種」交流会の方も出席されていた。講演には「視空間」の特性についての話題も含まれていた。ある建築関係の方が建築物の見え方の例をあげられて、建築設計は視空間の特性を経験的に織り込まれているようだ、というような感想を述べられていた。「純文学的」心理学の話しかとおもっていたものにも、現実との関わりはやはり存在することをあらためて感じた。

講演の最後に、古い問題にきちんと決着つけることが大切であると述べられた。


99/11/25(木)

午前中知覚心理学。つくりなおしたプレゼンテーションで、前半は先週の簡単なおさらいをやったが、丁度よい時間だった。まだ内容に不満足な点があるが、来週から別の話題へ移る。授業が終わってから、ある学生がプレゼンテーションのファイルをコピーさせてもらえないか、と聞きにきた。

これがきっかけになって、昨年度からのノートパソコン「実験授業」の目標のひとつは講義内容のWeb公開が含まれていたことを思い出した。しかし、講義でつかうプレゼンテーションファイルは講義内容の「見出し」に相当するものなので、これだけを見てもよく分からないだろうし、公開する場合には相当な説明を付加しなければならないと考えていたのでまだ実行出来ずにいる。

このことを昼休みにB教授に相談してみた。B教授は学生配布用の「ハンドアウト」的な抜粋を配布するなり、ダウンロードできるようにしておけばよいのではないか、という意見だった。たしかにこれが妥当なところだろう。来週から「ノート」部分を空白にしたハンドアウトを配布してみることにしよう。(ホンネは、これがコピーされて「講義ノート」のかわりにでまわったらどうしようという心配をしたのである。プレゼンテーションスライドは見出しだけなのでとてもノートとは言えないものなのだが。)

この話題で思いだすことは、私が大学生のときに受けた「視聴覚教育」式講義のことである。以前書いたことがあるようなきもするが、ある一般教育の講義で、講義内容はすべて録音され、テープと同期してスライド写真が提示されるようなシステムを一年分構築されていた先生がおられた。講義では、教室を暗くして、このプログラムをスタートさせ、先生は悠然と教室内を歩いておられた。教室は大教室で、受講者は数百名はあった。すでにうん十年前のことであるが、今日的な技術ではパワーポイントにスライド、動画、音声をインプットしておいて完全自動でスライドショーによる講義ということになる。

講義内容がこのようなスタイルにぴったりのものだったので(人文地理学)、印象によく残っている。当時としては大変にすすんだ「視聴覚教育」であったのである。当時はこの映像・音声教材を学生に配布することはなかなか困難なことだったに違いないし、配布するなどとは考えられもしなかっただろう。しかし、現在の技術ではごく簡単にできるようになっているのである。

この話しをB教授にしたのだが、「先生はいらない」のかもしれないなあ、講義っていったいなんだろう、というような話しになった。


99/11/24(水)

文献をお送りしたP先生より昨日わざわざお礼の電話。年輩の先生方はむしろきちんと感想を述べられたり、お礼をされる。そのおりJ先生が一時帰国されて講演会が予定されているのでそのお知らせも一緒に。週末はJ先生の講演会を二日続けて聞く予定。

明日の知覚心理学で話す「情動の知覚」のプレゼンテーションを作り直した。やはり話しの展開に飛躍があった。まだ、十分とは言えないがだいぶ整理できた。

今日は車検の手続き。代車を頼んでいなかったので、車を預けてバスで帰った。バス停まで歩いたのだが、つめたい雨で、車は水しぶきを歩道に跳ね上げて通り過ぎていく。こんな無礼な車社会なのだが、車なしでは「不便」な場合のあることも実感している。しかし、これだけの「社会的費用」をかけて不便な交通網をつくっているのではないかと、矛盾も感ずる。(夕方のニュースで自動車の地域共有の実験が紹介されていた。練馬区では自転車の地域共有が実施されていたがその後うまくいっているのだろうか。)

ついでながら、バスはどうもわざわざ利用しにくいようにしているのではないかと思うことがある。朝登校するときに利用する、大学の一番近くを通るバスの時刻は実にタイミングよくズレている。水戸駅に到着してバス停まで数分なのだが、いつも目の前で発車してしまうのである。同じ会社?(JR)であるにもかかわらず。

料金についても大学の一つ手前のバス停で50円高くなる。学生はこのバスにはほとんど乗っていない。べつの会社の同経路のバスも料金は同じで、学生はほとんど一つ手前で降りている。また、夕方5時ごろは帰宅する学生がかなりおおいのだが、一般の帰宅時間はもう少し遅いのか、この時間のバスの本数が少ない。

この路線は2社が運行しているのだが、ダイヤが少ない上にほとんど同時刻に設定して客の取り合いをしており、利便性の向上に競争原理は働いていない。


99/11/22(月)

通勤列車のなかでレポート読み。レポート読みはためこんでしまうと大変なのでなるべく早く読んで返却しなければならないのだが、今期は返却が遅れ気味だ。

それでも、なるべく早く返却するためにとっているセルフコントロールは次のようなものだ。一度に読む量を少なく定めて、けっしてそれ以上読み続けないという方法だ。まとめ読みをすると、その負担のためにどうしても取りかかるのが遅くなりがちになるような気がするからである。また、ついつい長時間読み続けるとその「疲労」は次のレポート読みを「先延ばし」にする要因になるような気がする。たぶん要する時間は同じなのだろうが、分散して一度に読むレポート数を決めておいてこれ以上は読まないように決めておくと、経験上、取りかかるときの気が楽である。(以上はレポートの「おもしろさ」にはあんまり影響を受けない「法則」なのだが、レポートはわかりやすくおもしろく書こう。)

午前中、4年生のTさんが実験データをもってきた。予定の実験は終了で、これからデータ処理を行うため。Tさんはてきぱき実験をやるタイプだが、実験進行には個人差があっておもしろい。どちらかというと、締め切りぎりぎりまで先延ばしする人が多いようだ。これはたぶん私のレポート読みのような悪い循環に陥っているのだろう。これを断ち切るにはともかくすこしずつ動くことしかない。

昼休み何人かのセンセイがたと雑談したおりに、ある「繁忙」委員会の委員を引き受けられたセンセイに「これから大変ですね」などと話していたら別のセンセイに「うれしそうに言うものではない」とたしなめられた。実は昨年度までこの委員をやっていたのでついつい。一般的に、学内の運営について、どうもこのように委員任せにしてしまう傾向があって、負担に濃淡が生じてしまうのである。それだけならまだしも、この傾向は自主的で民主的な運営能力を損なう要因になっているように思う。

午後から実験実習。2年生はカテゴリー弁別のインストラクション。3年生は系列学習のインストラクションを行った。2年生の方の課題はそれ自体で簡潔した良い課題なのだが、3年生の課題は、いくつかの実験の流れのなかで説明しなければならない課題で、しかも、あまり類似の実験レポートがないので基礎的な実習課題としては必ずしもふさわしくないのかもしれない。宿題である。


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