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ノートパソコン実験授業・日誌 ■ノートブック日誌インデックス


98/12/27(日)キャンパスはもうインターネット・成蹊大学編

日経ネットナビ2月号「キャンパスはもうインターネット:デジタル女子大生を探せ」第四回は成蹊大学編。成蹊大学は工学部を含む4学部で学生数およそ8600人。パソコン教室は3室で、パソコン導入台数は250台。パソコン1台あたりおよそ34名。工学部は別だと思うがパソコン教室数は3室と意外に少ない。多分必修の情報処理授業の時間が少ないのだろう。授業以外に情報センターが講習会を実施。単位にならないが毎回定員を上回る希望者があるということだ。例によって登場の4名の学生諸君(今回は全員「文系」の一年生)のデジタル度は「これから」という印象。

ソフトウエアの使い方(ワープロ、表計算、プレゼンテーション、インターネットなど)などは大学で教えるべき内容ではないという意見もあるが、実際問題として使えなければ始まらないので一概に無駄とはいえない。いまのところ高校などでパソコンの教育を受けていない学生がほとんどであるから、十分意味のあるものだと思う。大学院生などをみていると、情報処理教育を受けていない学生とまがりなりにも2年間受けた学生のパソコン技能を比較してみると、おおきな差があると感じている。もちろん個人差は非常に大きいが、平均的にみるとこのような印象を受ける。パソコンの利用法は非常に簡単になったが、それでもまだまだ一定時間の練習が必要で、これは学生時代にぜひ慣れておくべきだろう。体系的な情報処理教育が必要であると思う。

夜アクセス595/205


98/12/26(土)情報格差

早朝昨日の日誌をアップロード。その後、午前中大学のサーバーにアクセスするが応答なし。ダウンしている模様。きょうは浅草で会食。帰宅後大学のサーバーにアクセスしたところ復旧していた。

論文のコピーサービスがWeb上にないかという「話」をしていたところ、M大C君より、人間科学研究法ハンドブック ナカニシヤ出版(定価\2,800)の中にuncoverというサイトが紹介されているという情報。

http://uncweb.carl.org/

このサイトでは89年以降の論文からの検索ができる。くわしく見ていないがファックスサービスで10ドル+くらいらしい。ほかにもいくつかコピーサービスがあるようだが、ちょっと価格が高い。専門論文はできるだけ早くオンラインで「適正価格」で読めるようにならないものだろうか。これが実現すればすくなくとも論文情報についての「情報格差」は解消されるのだが。

加入している学会でも学会誌の発行に要する費用はかなりのものらしい。たしかに定期的に学会誌を発行することは重要な活動で、モノとして学会誌が存在していることに価値があることは認めるのだが、「検索」の容易さを考えると電子化の方をむしろ基本とすべきではないかと思う。「業績」用に「抜き刷り」のみ印刷するというのでは、たいして経費の節約にならないのだろうか。

学会費を納め忘れていると学会誌の郵送が止められるところが多いようだ。わたしも何度かこのことで迷惑をかけたことがあるのだが、学会費を納めていないことに気づかず、最近学会誌が滞っているなーというように勘違いしていたことがあった。

早朝自宅より587/193


98/12/25(金)メーリングリスト

先日加入したメーリングリストからメールが届き始めた。研究法の関係(fpr)では因子分析の関係の話題。s君にも加入するようにすすめよう。行動分析の方はギブソンの知覚論についての話題。今日はもうひとつ「教養科目として」の一般心理学教育に関するメーリングリストに加入の申し込みをした。

ある程度の頻度でメールがこないと学生もメールを見なくなるだろう。特に休暇中にはアクセス手段をもたない学生がまだまだ多いので、この点はいかんともしがたい。学部学生向けに適切なメーリングリストがあればよいのだが、以前「企画」だけしていたメールマガジンを具体的に準備すべきか。「ポストペット」というメールソフトは使ったことはないのだが、「ペット」が時々「不思議な」メールをくれるのだそうだ。メールを見に行ってもメールが来ていないとなんだか寂しい気がするものだが、これは良いアイデアだと思う。

早朝自宅より578/184:午後582/190


98/12/24(木)自宅からファイル更新・クリスマスの思いで。

自宅より大学のサーバーへダイアルアップ接続でアクセス。Mac、Windowsとも接続できた。以前接続で苦労したのがウソのよう。設備が改善されつつあるのだろう。ということで、休日中もファイルの更新ができそうだ。しかしながら、自宅のコンピュータのインターネット関係の設定はISDNのASAhi-netとアナログ接続の大学サーバーと2系統でちょっと面倒。大学の方もはやくISDNに対応することを期待。インターネット接続の仕方はMac、Windowsとも改善されてはいるが、「接続の仕方」の設定と「サーバー関係の設定」を一元的に設定できるようにならないものだろうか。

それにしても、ホームページの「見ばえ」はMacとWindowsでずいぶん違う印象を受ける。

ノートパソコンとは関係ないが今日はクリスマスイブということで、クリスマスの思い出。私はクリスチャンではないのだが、カトリック教会の幼稚園(「小さき花園幼稚園」)に通っていた。父の勤務先が近くにあって多分父と一緒に通ったのだろう。牧師さんで園長さんの名前は「ごっどふりーどぼーるしゅ」センセイだった。田舎町であったのだが、クリスマスには当時としてはかなり盛大にお祝いをしていたように記憶している。クリスマスのお祝いの劇で「東方の三賢人」の一人の役をやり、贈り物をもって「ベツレヘムの星」に導かれ、キリストの生誕のお祝いにいく、というものだった。この劇をやったときのこと(私の贈り物は三人の中では一番小さいもので、これがなんだか恥ずかしくてちょっと舞台の方に隠して歩いたような記憶がある。)や幼稚園のことをいくつか鮮明に覚えているのだが、これらが本当の記憶なのか「偽」記憶なのかはいまとなってはわからない。ほかにもプレゼントもたくさんもらった思い出がある。どうもとんでもないガキ(私の地方では「しょーからぼーず」という)で、いろいろセンセイ方には手を煩わせたが、こちらのことはあまり思い出さないようにしている。

今日のホームページの表紙インデックスはスパイシーな香り豊かなクリスマスプディングの包み紙です。

朝自宅よりアクセス573/173


98/12/23(水)

先日買ったMacDrive98という(ウィンドウズからマックフォーマットのディスクを読む)ユーティリティをThinkPad1430にインストールしたが「Windows保護モード」で正常に立ち上がらなくなってしまった。Safe Mode で立ち上がる。ファイルを削除しても同じ症状。ConfigSafeという1430にあらかじめインストールされていたユーティリティで初期設定ファイル類をもとにもどしたところ、正常に立ち上がるようになった。2度インストールしてみたがおなじ症状。販売元へ問い合わせのメール。

夜自宅よりアクセス569/169


98/12/22(火)ことし最後の授業・「ああ卒論」

今日は学部と大学院の研究法。それぞれ本年最後の授業。学部はt検定の最後の例題。プリント配布して、OHP上で計算、最後にノートブックで表計算ソフトでをつかって計算確認。道具はすでにありあまっているのだが、うまく使えるようになるだろうか。大学院の方はS君の卒論データを材料にして因子分析の実習(電算室にて)。授業の最後にプリントのコピーができあがるのを待ちながら雑談。受講者は修士1年生7名ほどだが、パソコンの所有率は半分程度で、デジタル度の格差大。社会人学生のほうは所有率高い。学部での教育経験の有無と「経済力」が影響している。

昼休み向後さんの日記に紹介されていたbit(1月号)掲載の「ああ卒論」を読みに図書館へ。学部は異なるものの全体的に共感をもって読む。教育と研究をきちんとけじめをつけている点がすばらしいと思う。私の所属する学部では卒論は「必修」。カリキュラム改訂の話の度にこの問題がくりかえし浮上している。しかし、「必修廃止論」がややもすると教員側のモラル低下と結びつけられ易い面があり、必修廃止論者には不利な状況が続く。私自身は「選択」が望ましいと考えているので「必修廃止論者」に分類される。なにを「卒論」とみなすのかという問題について柔軟な考え方は同感。制度的には「必修」のままでも、いろいろ工夫の余地は大きいことを教えられた。「電脳雑技団」の意味は日本語の語感とはかなりちがうのだろうが、すばらしいペンネーム。

登校時561/154


98/12/21(月)私立大学情報教育協会「情報教育方法研究」発刊・センセイの役割

愚一記さんの日記に、私立大学情報教育協会が「情報教育方法研究」1巻1号を発行したとの情報。「情報システムを使った教育の事例を集めていて、、、、中でも菊池重雄氏の「アメリカ地域研究科目におけるコンピュータの活用」、、、「教員は教えるという行為をある程度放棄し、知識の修得も含めて、学生が自主的に学ぶのを補助するという役割を担う」という方針には同感、、、」。この雑誌はこちらの大学にも来ているだろうか?

皮肉なことではあるが、現在の環境は、自主的に勉強しようと思えば非常に恵まれている。各種の入門書は豊富にあるし、専門論文だって読むことができる。放送、通信の環境もある。インターネットなどはその最たるものだろう。しかし、「知識」を独力で獲得するのは難しいことでもある。これのガイド役になるのが教師の役目の一つだったのではないかと思う。情報があふれればあふれるほど、この役割は重要になる。

また、今日か昨日の日経新聞では「大学のセンセイは知識の伝達のみでは、十分ではない」という意味のことを、ある受験産業の方が述べていた。教員が教えられる知識というのは、もしかするともう時代遅れの古いものかもしれないし、学生にとってはたいして興味もないものなのかもしれない。「知識」はそこかしこにあふれていて、調べようと思えばすぐに調べられるわけだから、このような状況では「知識を伝達」することそれ自体では教師の役割を果たすことにはならないのかもしれない。

「反面教師」というのは教師の役割としては非常に興味深いものだが、そのような存在はだんだん許されなくなってきているようでちょっとせちがらい。

「大学というのは学び方を学ぶ」ところだということを持論にしておられるセンセイもある。しかし、現在の大学は、「知識のための知識」を追求するアカデミックな世界ではあまり問われることのない、「なんのために学ぶのか」という「学習の意味」が失われているのではないかと感じている。「現代は、知るための手段は有り余っている。しかし、なんのために知るのか、その意味を失っている」というふうにもじることができるのかもしれない。

登校時アクセスカウンター555/140


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