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99/1/31(日)「キャンパスはもうインターネット」第5回慶応大学編

日経ネットナビ(netn@vi、3月号)「キャンパスはもうインターネット」第5回慶応大学編 http://www.keio.ac.jp/

今回登場の4名の学生は、2年生と3年生2名ずつ。4人とも「文系」学部の学生だが全員パソコンを所有。かなりの「デジタル度」とお見受けした。「インターネットを恋愛に活用していますか」という質問に対しては、「顔のみえないネット恋愛はちょっとダメですねー」ということだが、おつきあいのカレシとの連絡にはメールもとうぜん利用する。メールで喧嘩してしまったり、メールの確認を電話でしたりとほほえましい。


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99/1/30(土)出席のあつかい・講義要項

ドライブの帰り、ラジオで池田弥三郎「センセイ」の授業の思い出という投書が読まれた。もうかなり昔の話だ。学部の授業中に出席カードが配られたそうだ。そのときセンセイは「このカードを機械で読むと、「代筆」カードがわかるようになったそうだよ」と。代筆をした投稿者は一瞬まずいと思ったそうだが、当然「うそだよ」というオチでちょっとからかってみたというような話だった。(もっともらしい出席カードをつくってマネしてみようかと思った。)

私の講義の受講者は50名程度。それでも呼称して出席をとると結構時間がかかる。毎回は出席をとることができない。「試験規定」では「毎回出席をとらなければならない」とされているのだが。学期はじめ、受講者の登録が完了するのに3〜4週間かかる。出席簿はその後に配布される。この期間も出席がとれない。この間は「出席カード」を利用するしかないが、受講者が多い授業ではこの整理も大変だろう。携帯型のカードリーダで「学生カード」を読みとるような機械の導入が検討されたようだが、どうなったのだろう。

出席簿は「公文書」扱いで、学務事務としては重要なものだ。しかし、出席の扱いはセンセイによっていろいろだ。ほとんど出席をとらない方もある。成績評価でも出席を考慮されない方もある。なかには全員Aとか、テスト成績さえ考慮されないセンセイもあるとのウワサもないではない。私が学生の頃、あるセンセイが「授業は出席しなくても、テストができていれば単位を認める」という宣言をされたのだそうだ。単位認定の季節になって、ある学生が不合格になり、そのセンセイのところに抗議にいった。「センセイは出席しなくても良いといわれた。センセイはウソツキだ」という内容の抗議を直接したというウワサだった。その学生のテスト結果がどうだったのか私には分からなかったし、その結末がどうなったか知らないのであるが。多分センセイとしては「単に出席だけしていてもダメなんだよ」という意味のことを「テストができていさえすれば」ということで言われたのだろう。これを文字通り「授業にでなくても良い」と受け取ったということだろうか。

得点分布がかなり変動してしまうような試験問題しかつくれない私としては、例年出席を加味して成績をつける。出席はセメスターあたり7、8回とるようにしている。個々の「出席の質」を把握できないが、全出席というのは、たしかに無視することはできない。最近の「シラバス」作成や自己点検の動きで、成績評価法も「明記」しなければならなくなるかもしれない。たとえば、「出席は出席率に応じて最大30点まで定期試験の得点に加算。成績評価の分布は絶対評価」など。どの程度「加味」するかはいまのところはセンセイの「企業秘密」なのだが、大学全体でこのような基準が決められるようになる時期が来るかもしれない。

昔の講義要項は概して簡潔なものだった。これが一つには「トラブル」のもとになることもある。最近のものはかなり詳しく講義内容を書くようになってきている。なかには試験の方法や回数、程度、評価方法も書くようになっている例もある。たしかに「受けてみないとわからない」というのは不親切で、きちんとしたシラバスは必要な要件であると思う。しかし、15回の講義内容をきっちりこれで進行しなければならないとなると、ちょっと窮屈で、守ることができない約束になってしまう。

ついでながら、「大学改革」の用語にはカタカナが多い。授業改善などは「ファカルティ・ディベロップメントの一環」などといわれているのだが、お役人の用語には最近特にカタカナが多い。お役所指導の「運動」なのだろうか。


99/1/28(木)解答用紙にかかれていた感想

昨日やりのこした「特講」の集計をした。平均点は38点、標準偏差16点というあまり芳しくない結果だった。最高点は80点だった。試験の形式は「論述」で、5問。各問題20点ずつ配点。受験者55名。2/3程度は「研究法」を受講している学生と重複しているのだが、試験の方法でこんなに点数分布が異なるとは予想外だった。

成績報告のマークシートに転記。毎年のことなのだが、解答用紙を出席簿順に並べ直して転記する。この作業は間違えてはいけないので神経つかう。学内のこのような「教務事務」はどうしても手作業が残る。この報告以後の事務処理はかなり電子化されているのだが。

「特講」は他専攻の学生も受講している。解答用紙にいくつか感想が書いてあった。コメントを書いてくれるのは他専攻の学生がほとんどだ。他の専攻にはこのような習慣があるのだろうか。「ちょっとちがった面から心理学を勉強できた」、「感覚や知覚にもこんなにたくさんの理論や研究があったのかと思った。授業でのマックガーク効果の実験がおもしろかった」、「受講して良かった」という好意的な内容のものだった。もっとも、「試験」なので否定的なコメントは書きにくいと思われるが。

「こころやすらぎ系」な学生にとっては予想外の内容だったかもしれない。専攻の学生は来年実習などで接する機会があるので、コメント書きにくいのだろうか。「単位」についてのお願いは4年生の1件だった。

午後からゼミ4年生の卒論発表会のリハーサルとレジメのチェックをしたが、発表の未整理なもの、レジメの完成していない学生が多く来週もう一回行うことにする。


99/1/27(水)採点

午前中、実習レポートの採点。つづいて、昨日の大学院の「研究法」の採点。最高点95点。平均点は48点だった。受講者は7名。合格ラインに達しなかった数名については、解答を直して提出ということにする。

学部の「研究法」のテストは最高100点、平均点は69点(標準偏差値24)だった。計算例題の配点割合を大きくしていることもあるが、ちょっと易しすぎたか。しかし、t検定の基本はおおむね理解されたようだ。出席状況を加味して成績評価を決定。

「知覚心理学特講」のテストは採点終わったがこちらはあまりよくない。これは5問の論述式で行った。テストの形式で点数分布は大きくかわる。論述式では個人差目立つ。集計は明日。

秋セメスター(カレンダー上は春セメスターと秋セメスターというように呼ばれているのだが、季節が変わるのでこの呼び方は変な感じもする)の成績提出の期限が入試との関係でせまっているので、早く採点を済ませたい。

日経新聞には「各社ノートパソコン一斉発表」との記事。Dellとエプソンが低価格ノート(18万円くらい)を発表していたのが目を引いた。ニーズと動向に敏感な感じがする。米国ではインテルのCPUの管理化戦略(CPUにID番号を付加)について消費者団体が猛反発。インテルも妥協策をだしたが、戦略見直しをせまられるのではないか。プライバシー保護の観点からの異議。インターネットに接続されているコンピュータはこのような管理が可能なのだ。


99/1/26(火)定期試験

朝方かなり濃い霧。

大学や大学院での「遠隔教育」の単位の扱いについては、「大学審議会」がすでに昨年「答申」していることがわかった。報告の冊子をざっとみたところでは、かなり柔軟に対応できるように「答申」している。大学院の通信課程では必要な30単位を「遠隔教育」で満たせるようだ。それはいいのだが、「大学審議会」というのは文部行政にかなり影響力があるようだが、委員の選出や普段の活動はどのようなものなのだろうか。

午後から学部と大学院の研究法の試験。学部の方は教室変更。もしかすると、昨年度の試験問題が「流通」しているかとも思ったが、昨年度と比較しやすいように類似の形式・内容の問題にした。テストは小項目の質問を10数問で構成。学部の「研究法」は専攻の必修科目になっている(2年次が指定学年)。例年(再履修や再再履修の)4年生が数名いて、卒業にかかわるのでちょっと気が重い。再履修では出席が悪くなり、再再履修という傾向がある。例年どおり「自筆ノート、配布資料、電卓」持ち込み可であるし、試験問題としては易しい問題。試験開始後30分で提出できる。時間経過後まもなく第一陣がどっと提出し、以後、指数分布的に居残りの数が減っていき、時間ぎりぎりまでねばる学生が1〜2割くらい。今日はこの傾向が特に顕著だった。

以前、統計学の専門のセンセイが「座席の位置と成績の関係」を調べておられた。それによると、普段の授業の着席位置と(定期)試験の成績の間には統計的な関係があったように記憶している。また、学生は教員を遠巻きにするような形で着席するクラスが多いようだ。これらの行動がなにに由来するのかはわからないが(スクリーンの見やすさ、照明や音響、??、)、行動的な授業評価データになるかもしれない。実験授業で使った教室は半円形の階段教室だったのでこの点はあまり気にならなかったが、私の方から見て、全体的に右側に座る学生が多かったような気がする。私には講義中に右側を見る時間が短いというクセがあったりして??正面前列に陣取る学生も数名。試験では教室変更したが研究法はやはり右側が混んでいた。

大学院(修士)のほうは因子分析法についての穴埋め問題。設問数は非常に多いが、「客観」テスト形式なので採点は楽である。大学院のほうはテストをされるセンセイは少ない。しかし、研究法は技法に関する科目なので、できれば「雰囲気的理解」でないようにと思い、毎年テストをしている。配布資料、教科書類、電卓持ち込み可である。学生は多いときは10名を超えることもある。今年は7名だった。難易度は「入門」でごく基本的な問題にした。社会人の学生や学部で統計学を受講していない他大学からの学生はテストにはずいぶん悩まされたことだろう。採点は明日。


昼休み、B教授が紀伊国屋書店(Web書店)の機関むけサービスのパンフレットをみせてくれた。一般向けのWeb書店の方は入会金がたしか1500円だったが、こちらは登録無料のようだ。「公費」で決済になるのでクレジットカードで立て替えなくてよいのは便利。大学には紀伊国屋書店の小さい店舗があるのだが、問い合わせたセンセイだけにパンフレットを渡しているのもちょっと不思議。また、B教授のゼミは最近デジタル度がアップしてきて、学生への連絡はホームページや携帯電話へのメールで済ませることができるようになったとのこと。たしかに携帯にメールという方式のほうが若い人には受け入れられやすい。学生のメールアカウントの発行の結論がいまだに出ないのは、なんとも対応おそい。
99/1/25(月)

学園創立記念日のため休み。ただし、短大部、推薦入試の一部では入学試験。

実験授業関係の事項は特になし。明日の試験問題は一応完成。

新聞(朝日)に「代替」教育運動の記事があり、米国の「代替」教育や各種教育情報を載せているサイトが紹介されていた。インターネットで米国のシステムも利用できるようだが、「資格」の問題はどうなっているのだろうか。やはり「大検」を受けないと日本での大学の受験資格は得られないのだろうか。本学では「外国の初等・中等教育を一定年限以上受けた者」にたいする入試制度があるが、「通信制の米国の高校」の卒業生についてはどのように対応するのだろう。日本では外国の大学卒業者は「大卒」ではないという。たとえば米国の大学を卒業した場合、(日本の)大学院の受験はできるのだろうか。


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