ノートパソコン実験授業・日誌 ■ノートブック日誌インデックス


99/3/7(日)GoType!のドライバー

昨日買ったGoType!(てのひらコンピュータ3COM Palm III用のキイボード、http://www.ikeshop.co.jp/pilot/index.html)のドライバーは日本語版IBM WorkPadに完全対応していないようだ。enablerをOFFにしてキイボードから外すのだが、HOT SYNCしようとすると「シリアルポートが使用中」というアラートが出る。どうもWorkPad側のシリアルポートが解除されないようだ。まあ、すぐに対応されるだろう。

こういう小さいコンピュータを見ていると、いまのノートブックはモバイル用途としてはハード・ソフトとも「巨大」で、過渡的なものに見えてくる。ノートブックの電池の問題や重さの問題は解決されるのだろうか。ノートブックはデスクトップに置き換わっていくだろうが、本当の「どこでもパソコン」は手のひらコンピュータのジャンルから生まれるような気がする。パソコンをつかって何をするのかが問題だとカゲの声がした。しかし、テクノロジーや商品の「進化」というのはそれ自体面白く魅力あるものなので、趣味ということでご勘弁。


99/3/6(土)秋葉原徘徊

午後からひさしぶりに秋葉原にでかけた。授業とは関係ないが、ハード、ソフトの「情報収集出張」ということで日誌に。

街も店も非常に込み合っていた。ツレアイと「ころな」という喫茶店で待ち合わせたのだが、おたがい離れた席にいて30分ばかりも気づかないというマヌケな待ち合わせとなる〔すべて僕が悪いことにされてしまった)。その店はケイタイが禁止で(実際ウエイターが「注意」しにやってくる。これでついでに禁煙席があるともっとうれしい)、荷物もあったので席を立てず電話をかけるタイミングを逸していた。でもなんとか再会できた。お互いにブツブツ。PostPetいらい、「人のかわをきた犬」であると自称しているツレアイは「ほえるぞ」といっておこっていた。

学生のころからよく立ち寄っていたイケショップのモバイルショップが地下鉄末広町駅のすぐそばに越してきた。ここはバブルのころ免税のおみやげ物屋があったところでしばらく空き屋だった。私とイケショップとはどういうわけか「相性」がわるく、一昔ほどまえに購入したモニターを返品したことがあるし、ここで購入した初代のPilotも故障がちで修理もしてもらたのだが、直らなかった。パソコンなどでときたま見られる、「店では再現しない」類の不調だった。イケショップは以前から「新しモノずき」な商品が多く、趣味的なシャレた店で、この種の店は大好きなのでなんとかつぶれずにいてほしいものだ。というわけでもないのだが、IBM WorkPad用にGoType! というキイボードをご祝儀買いした。

前の店に比べ非常に広くなり、てのひらコンピュータやモバイル関係の商品豊富。子供のように欲しくなってしまったのがLEGO Mindstromだった。雑誌などで紹介されていたのだが、始めて見た。LEGOブロックとモータをつかって比較的簡単にロボットを作って、マイクロマウス選手権に出場できそうななおもちゃである。プログラムはPC側でつくって赤外線で転送する。33000円とちょっと高い「オトナのおもちゃ」というところか。

帰りにイケショップのマックプラザのほうによった。なんと「ボンダイブルー」のiMac Rev.Bに遭遇。あと6台。Rev.Bなら外部モニターをとりつけてシリアルも出せるキットがあるし、SCSIのカードもとりつけられる。ああどうしよう。こう書くと買い物ばかりしているようで、恥ずかしい。


99/3/5(金)「学び」の復権:模倣と習熟(辻本雅史、著)を読む

今日は「ネットサーフィン」やメールのチェックをすると、「アクセスに失敗しました」というようなエラーメッセージがやたら出る。再起動しても同じ。いろいろ考えていたところ、ISDNのルーターの設定で「自動接続の制限事項」に週あたりの接続通話料金が一定額をこえた場合「自動接続しない」という設定をしていたことに気が付いた。今週は自宅にいる日が多かったのでこの制限をこえていたためと判明した。1月から「割り引き」が適用されるようになって電話代の請求は3割程度安くはなった。


本屋で、「学び」の復権:模倣と習熟(辻本雅史、著)角川書店、が目に留まる。買って少し読む。学校や塾の成り立ちを「歴史的な手法で」教育学的に考察した書物。歴史的・文化的にみると「学ぶ」対象や理由、その方法は多様であるにもかかわらず、その一つの機能(体系的にガクモンを「教える」システム)でしかない現在の学校教育の場にいろいろな問題が生ずるのは当然かもしれない。また、現代の学校システムの疲労の一面は、学校がとくに現実的な利益をあたえることができなくなってきているという面もあるようだ。

以下ナナメ読みの感想。日本の近世の「手習塾」(いわゆる寺子屋)の様子や、職人の教育方法の方法などおもしろく描かれている。「手習塾」では「個別指導」が基本で、時代劇で見るような一斉授業は時代考証に難ありであるらしい。また教育の目標のひとつは「往来」(手紙のやりとり)にあって、これは今日のインターネット教育で「メール」のやりとりができること、というのに似ていておもしろい。ただし、当時は「往来」の内容(目的別の手紙の具体例や書き方)についても教えたようだ。

また、「言葉で伝えることができない」ことがらの「教育方法」について、職人の徒弟制度がとりあげられている。これはナガシマ監督風の「教育」、ボールがギュイーンと来たらかーんと打つ、という言葉(ルール)を覚えてもしょうがない。実際に打つしかない、というような場面。このような技能の伝達にはことばでアレコレいってもしょうがない、ということの自覚であるのだろう。徒弟制度にはこのように「教えない」という特徴のほか、「ほめない」という特徴があって、今日の教育とはまっこう反対していて面白い。(罰はより強力な罰を必要とする、という行動分析的な知見と同じく、「ほめる」ことの弊害(スポイル)やエスカレートしていくことを自覚している。)

辻本氏は、「学校教育システム」は近世の伝統から異なる方向にズレてきていて、学ぶ側からの視点にたって「学校社会」から「学習社会」への見直しが必要であると述べておられる。自発的な「学び」のシステムの根本は「信頼感」であるとも述べられている。これについては教師にとってはなんとも厳しい条件だが、教師を選択できるシステムに変更する、という提案がなされている。

制約が少ないインターネット環境では、体系的なガクモンを教育するシステムも可能であるし、「現世利益」を得るための「教育」システムも実現もするのだろうが、それらとともに、伝統的で自主的な「学び」のシステムが復活するのではないかと思う。


99/3/4(木)必要な科目と入試科目

一昨日報道された「新学習指導要領案」の記事を読み直す。(朝日新聞、3/2)。記事でとりあげられていた「情報」は「普通科」高校を対象としている科目。盲学校、聾学校での「情報」のとりあつかいはかかれていない。養護学校の高等部には「情報」が設けられる。このような学校での情報教育こそ非常に重要なのだが。また、「情報」を担当する教員が実際に配属されるかどうかも不透明の模様。新しい教員免許についてもまだ定まっていないようだ。

「新要領案」で各高校の裁量になる単位数が増えることについて、公立校では週五日制を採用しない私立校の動向を警戒し、「受験」対策におくれをとるのではいかとの不安を述べるセンセイもある。このセンセイは受験に関係ない「情報」によって受験科目の時間数を食われることを心配し、「情報」という科目は名目で、実際には「受験科目」の授業が行われるのではないかとさえ述べておられる。「情報」が大学入試科目にならないとまともに取り組めない、という。

必要な科目やカリキュラムをゆがめている入学試験については大学側のセキニンもあるのだが、「競争と選別」の前にいいアイデアも出せずにいる。厳しい現実。こんなにベンキョウして、なお「一流大学」や「超一流大学」で学力低下をなげいておられるセンセイの発言や記事を見かけるのはいったいドーナッテイルの。


以下3/5追記

中学では「技術・家庭」で「インターネット・サーフィンと電子メールが必修」化され、高校では「社会にでて役立つコンピュータの力を身につける」ことが目標。

情報Aが基礎で、Bは「理系」、C は「文系」ということらしい。「授業であつかう具体例は、情報技術の進展に対応して適宜見直すが、技術的内容に深入りしない」という。面白い教科になりそうだが、「ワードの使い方」みたいな話にもなりかねない。


99/3/3(水)「人は集い、人は散じ」

今日は午後から会議と夕刻P先生の送別会があった。春は移動のシーズンだ。ふた昔も前に、大学院を卒業?する後輩の色紙に書いたことばを思い出した。「人は集い、人は散じ」だったか、当時なにか本で読んだ言葉だったと思う。

送別会で院生の挨拶のなかで、Pセンセイがこちらに移られた年に入学したという学生が今年博士課程をちょうど終わるとのことで、院生のI君の「一年一年は長いけれども9年は短い」という言葉に9年間という時間を感じた。

P先生のゼミ生の来年度の担当者について結論がでない。再度P先生と学生の意向を聞いた上でということに。

先日納入されたDell V333cの件で納入されたS商事の担当の方がちょうど来校。確認したところS商事側のミスなので、追ってオプション類を納入してくれることになった。ひょっとしてS商事がトラブルをさけたかっただけかもしれないなどと思ったが、これが本当にS商事側のミスなのか大学発注側のミスなのか、というところまでは確認しなかった。

昨日の新指導要領案について東京新聞(3/3朝刊)が特集記事。「情報の教員免許状」はこれから新設になるものだそうだ。教育内容は情報A、B、Cとありそれぞれ趣旨はもっともなものだ。内容は「技術の進歩や変化に合わせて適宜変更していく」とのこと。しかし、このようなあいまいな「規定」で教員が対応できるかという心配と、これらから一科目のみ選択ということでちょっと物足りない。近未来のうちに、他の科目と独立した「情報」科目というような考え方が意味のないものになっていることを願う。


99/3/2(火)新学習指導要領案

今朝の朝日新聞一面は「2003年度からの学習指導要領案:パソコン実習を必修」という記事。高校の科目内容の「自由化」。高校ごとに、「学習指導要領」にない科目)について、設置者の許可を不要とした「学校設定科目」を20単位まで卒業単位にできるようになる。全体に週5日制実施でスリム化。高校ごとに実状に合わせたカリキュラムを作れるという点では良いと思うが、関連記事で「大学受験は団体競技」などという教員の発言もあり、高校間の「格差」が大きくなるオソレがある。教育の「機会均等」を実現し守ってほしいものと思う。(関連記事は朝日の当日夕刊の記事、3/3追記)

気になるのは「国語と数学」の必修(現4単位)が2単位でもよくなること。いまカナダでホームステイして高校に通っているTちゃん(S夫妻の長女)は日本では数学は大の苦手だったのだが、カナダでは成績優秀で本人もその気になってベンキョウしているそうだ。このような例はもう聞けなくなってしまうかもしれない。しかしなんでまた伝統的で成功もしている「読み書きそろばん」の授業を削ってしまうのだろうか。

パソコン関係では、コンピュータにかんする「情報」という科目が必修になる。2002年までに9000人に「情報」の教員免許をとらせる計画だそうだ。これで高校1校あたり1〜2名という計算のようだ。(情報の教員免許というのがあることを知らなかった。「教科のための専門科目」で要求される内容はやはり数学関係の免許に近いのだろうか。)初等・中等教育で「情報教育」が始まれば当然大学での内容も変えていかなければならない。高校でのカリキュラム内容はどのようなものになるのだろうか。パソコンの使い方のみではなく「情報」や「社会」についてしっかり教えて欲しいものと思う。それにより大学での情報教育を大学にふさわしいものにすることができる。


99/3/1(月)授業準備のチェックリスト・祝開店:授業実践についての「サイバー研究会」

2月26日(金)の愚一記さんの日記。

「某大手予備校での3年間を含む17年のキャリアでつちかった?教師としてのテクニック」として、「教材研究の3段階」テクについて、つぎのように整理されている。

授業では、教育実習の授業で立ち往生してしまった実例により臨場感を盛り上げ、ご自身の模範指導案「日本史の指導案」を解説され、実際の授業のビデオ供覧という手順。

この後、「受講生に、どの教科のどの単元の指導案を作るかを考えてもらい、教科書を渡す。宿題は教科書のまとめ。」という講義と実習が適度にミックスされている。

実習では手順や手続きをかなり詳しく話すので遅刻は厳禁だ。それでも必ず遅刻してくる学生がある。しかし、再度説明する時間はない。このような場合、インストラクションのビデオを撮影しておいて、それを見せる(「そこまでやるか」)とのアイデア。これはいいかもしれない。しかし、安心して遅刻者が増えるオソレもある?。

教える内容や目的は違うが「予備校」での授業経験は大学教員の「教育実習」として有効かもしれない。(受験科目のない教員はどうするのだというカゲの声)

私の授業の準備では2の「生活経験との接点をさぐる」という点に心がけてきたことが一致しているように思う。私の担当している領域の研究は社会や生活の中で「役に立っている」ものが多い。しかし、これらは一般的な(正統的な)教科書ではあまり取り上げられず、「役にたっている」ことが目に見えにくい。また、正統的な教科書の内容は基礎的で重要な知識であることは確かなのだが、初心の学習者は「生活経験」とかけ離れていると感じるだろうと思う。「既習の知識」との関連では、授業ではできるだけ受講者に予備知識を要求せず、授業の中で説明する方向で準備してきた。「教材研究の3段階」テクは授業準備のためのチェックリストであると思う。


富山大学の向後さんより、「授業実践サイバー研究会」のメーリングリストが立ち上がったとのメール。さっそく自己紹介のメール。向後さんの呼びかけで10名の参加でスタート。登録メンバーではM大学のC君のみ面識あり。そのほかの方のうち何人かは日記猿人の日記作者と思われるが、面識はない方ばかり。日記を通じて、いろいろな情報交換ができればと思っていたので、このような研究会が実現できたたことに感慨。今後の展開が楽しみ。こちらから提供できる情報があればよいのだが。
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