グローバル教育の曖昧性と定義

小関 一也

この小論の目的は、多義的で曖昧なグローバル教育を主要な研究動向をもとに定義づけることにある。 「グローバル教育とは何か?」、このシンプルな問いにどれだけ多くの研究者が頭を痛めてきただろうか。 その難解さを十分に承知した上で、大きな見取り図を描きだせればと考える。 グローバル教育の代表的な論者の考えをできるだけ取り入れながら、グローバル教育に共通する特質を示し、大きな視野から、その定義づけを試みたい。

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グローバル教育の創始者の1人であるアンダーソンは、 グローバル教育とは「内容や主題、学問領域で定義できる領域でははない」(Anderson,1979,p.7)と述べ、同じく創始者の1人とされるベッカーとともに、 むしろそれは、グローバル化する世界に対して適切に反応できるように新しい教育を創造する努力や運動として広く捉えている(Becker & Anderson,1980)。 実際、グローバル教育の用語自体は1960年代の後半に米国で作られたとされるが(Pike & Selby,1999;Tye & Kniep,1991)、それ以降のグローバル教育は、 英国のワールドスタディーズやユネスコの国際教育など世界中で展開する同様の教育運動と影響しあい融合してきた(Pike 2000;Sutton & Hutton,2001)。 また、地球規模の問題に取り組む他の領域(例えば、環境・開発・人権・平和・多文化教育など)との連携を深めてきたのである(Selby,200;Tye,1999)。 したがって、現在のグローバル教育は、関連しあうさまざまな領域が互いに影響を及ぼしあいながら、 ゆるやかに世界規模の教育運動を形成していると考えられる。

このような多様性を背景として、多くの研究者が、グローバル教育の定義をめぐり、その「曖昧性」や「不明確性」に論及してきた (Alger & Half,1986;Case,1993;Hicks,2003;Kirkwood,2001;Kniep,1985;Lamy,1990;Sutton & Hutton,2001;Tye & Tye,1992;Merryfield et all.,1997;Pike,1996,2000;Selby,2000)。 ここで特に留意したいことは、代表的なグローバル教育研究者が、実質的な定義を意図的に避けてきたという事実である(Kniep,1985;Tye & Tye,1992)。 メリーフィールドの言葉を借りれば、「その曖昧性が、多くの教師に自分たちなりのグローバル教育を生み出す柔軟性を与えている」(Merryfield,1997,p.5)ということになる。 しかし一方で、その定義を明確にすることが、グローバル教育の今後の発展に欠かせないという意見も出されている(Becker,1982;Case,1993;Kirkwood,2001;Lamy,1990)。 双方の主張から読み取れることは、それを長所とすれ短所とすれ、曖昧性こそ、現在のグローバル教育の本質的な特徴であるということだろう。

そのような「曖昧性」にもかかわらず、グローバル教育の研究動向には、大きく3つの方向性が認められる。 次に、これらの研究動向をもとにして、広い視野から、グローバル教育をゆるやかな教育運動として特徴づけてみたい。

地球的視野

グローバル教育は、何よりもまず「地球的視野(global perspective)」をカリキュラムに取り入れようとする教育運動として考えられる。 ハンベイが「地球的視野」について論じて以来(1)、「地球的視野とは何か」を問うことが、グローバル教育研究の1つの中心をなしてきた (C.Anderson at al.,1994;Becker & Anderson,1980;Case,1993;Hanvey,1975;Kirkwood,2001;Tye & Tye,1990,1992;Pike & Selby,1988;Selby,1991)。 地球的視野の捉え方は論者によって一様ではないが、ケイスが指摘するように、「地球的視野を促進していくことが、疑いなく、グローバル教育の中心的な目標」 (Case,1993)であり続けている。 実際、ほぼすべての研究者が、学校教育が急速に変化する世界に対応できていないことを問題とし、その上で「地球的視野に立った教育」の必要性を論じている。 言い換えれば、「地球的視野」こそが、現代の学校教育に欠けていると同時に、グローバル時代の教育に不可欠な構成要素として考えられてきたのである。

地球規模の問題

次に、グローバル教育は、「地球規模の問題」を扱うさまざま領域を統合していこうとする教育運動として捉えられる。 ニープがグローバル教育の内容論の必要を説いて以来(2)、「グローバル教育は何を内容とするのか」が繰り返し問われてきた (Cokkins et al.,1998;Kniep,1986,1987;Merryfield et al.,1997;Pike & Selby,1999,2000;Tye,1999)。 その中でもすべてのグローバル教育論を貫く中心テーマであり続けてきたのが、地球規模の問題への取り組みであった。 しかしパイクが「グローバル教育はずらりと並んだ教育の理想を守り育てるアンブレラ概念」(Pike,1996,p.9)と述べたように、 グローバル教育が扱うテーマは多岐にわたっている。 しかも、絶えず新しいテーマが加えられ多様化しているのである。 現時点では、環境、開発、平和、人権をはじめ、多文化、経済、テクノロジー、マスメディア、シチズンシップ、健康、人種、ジェンダーなどが中心テーマと考えられるが (Collins et al.,1998;Pike & Selby,1999,2000;Tye,1999)、今後もテーマは増え続けていくことが予想される。 この意味では、グローバル教育とは、地球規模の問題を取り扱うすべての分野と領域に開かれた、常に生成変化する教育運動として特徴づけられる。

参加・体験型学習

最後に、グローバル教育は、伝統的な教科書中心の学習─トランスミッション (伝達)型─からアクティビティを重視する参加・体験型の学習─トランスフォーメーション(変容)型─へと変化を求める教育運動としてみることができる。 多くの研究者が指摘するように、グローバル教育の文化の担い手は、研究者以上に、現場にいる教師や実践家であった (Merrifield et al.,Pike,1997,2000;Tye & Tye,1992;Tucker,1990;Urso,1990)。 実際、グローバル教育の領域では、理論研究の実に2倍以上の著作が、 教師や実践家を支援するための教材・資料やガイドブックであり、実践的なカリキュラム開発にあてられている(Sutton & Hutton,2001)。 同様に、グローバル教育の普及を目指す多くの組織・団体が、グローバル教育に興味を持つ実践家に対して、インターネット上でさまざまな教材やアイディアの提供をしてきた (3)。 そのほぼすべてが、グローバル時代にふさわしい教育のあり方を求めて、アクティビティを重視する参加・体験型学習を基軸にすえていることは注目に値する。 この意味で、教師や実践家の具体的な活動を通して意味が深められてきた参加・体験型学習こそが、グローバル教育研究の最大の推進力であるといってよいだろう。

前項で言及したグローバル教育研究の動向を踏まえて、グローバル教育の基本的な枠組みを単純化して示すとすれば、次のように整理することができる。

  • 目標:地球的視野を育む
  • 内容:地球規模の問題に取り組む
  • 方法:アクティビティを重視する参加・体験型学習


この整理をもとに、グローバル教育を広い視野から定義づけるならば、「グローバル教育とは、地球的視野を育むことを目標に、 地球規模の問題に取り組む、アクティビティを重視する参加・体験型学習」と規定することができるだろう。 もちろん、何を「地球的視野」「地球規模の問題」「参加・体験型学習」と解釈するのかによって、この定義で規定される内容は多様である。 さらにいえば、解釈によってはまったく正反対の価値観を同時に内包する可能性を否定できない(4)。 しかし、グローバル教育がその曖昧性によって特徴づけられる世界規模の教育運動であることを想起すれば、 現時点では、矛盾や対立をも包括する柔軟な定義が必要なのではないだろうか。 このようにゆるやかに定義づけられるすべての教育領域と絶えずつながりを求めて生成変化する教育運動こそ、グローバル教育と呼ぶにふさわしいと考える。

1. ハンベイは、その著名な小論文「到達可能な地球的視野」で地球的視野を 「パースペクティブ意識」「地球の状態の認識」「異文化への認識」「グローバルダイナミクスの知識」「人間の選択の認識」の5つの次元に分けている。 中でも「パースペクティブ意識」は、グローバル教育の中心的な課題としてほぼすべての教育論の中で取り上げられ、実践家の意識の中にも根づいている (Merryfiled,1997;Pike,1997)。

2. グローバル教育の体系的なカリキュラム論を展開する際に、必ず基軸にすえられてきたのがニープのグローバル教育内容論であると言っても過言ではない。 ニープはグローバル教育を「普遍的で多元的な人間の価値と文化」 「グローバルなシステム」「地球規模の問題」「グローバルな歴史」の4つに分類し、さらに詳しい内容論を展開している。

3. 北米の教師が利用する代表的なインターネットのサイトをいくつか紹介しておきたい。
※海外サイト

4. 例えば、ラミイはグローバル教育の中に異なるイデオロギーが混在していることを指摘している。 (Lamy,1990)。 またパイクは、現在グローバル教育と総称されるものの中に、「細分化型」と「ホリスティック型」の相反する2つのパラダイムがあることを指摘している(Pike,1997)。