大学往来 

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2000/12/22(金)台北・五日目(最終日)

今朝も快晴。朝食のときいあわせたYen夫妻に声をかけられる。荷造りをしてチェックアウトをすませる。荷物を預けてタクシーで故宮博物院へ。天気もよく、土曜ということか、かなり人出が多い。予想していたよりは小さいという印象だったが、一階から三階まで一通り歩いてみた。展示されているものはごく一部なのだろう。磁器、とくに青磁のコレクションが有名らしいが、このように時代毎に並べてあるとその変遷がよくわかる。

別の例では、青銅器などいったい何につかったものだかよくわからないようなものもある。教科書などに「これはこの用途に使われたもの」と結論だけが書かれていると、なんでそんなことがわかるのだろうか、と思ったものだ。しかし、その用途の判明している青銅器に類似したものを、時代をさかのぼって並べていくことで、その用途等をたしかに推測できるのだなあ、と実感した。このような手続きが省略されていた(あるいはそのようなことに思い至らなかった)ことが歴史が苦手だった一つの理由だろう。

 国立故宮博物院 

きのうのお茶やさんのおじいさんは北京の故宮にはろくなものがのこっていないといっていた。台湾の方は一品残らず移動してきたのだと誇らしげに語る。この移動には日本と中国との過去の歴史がかかわっている。

展示品の案内をするトランシーバー式の日本語の音声ガイドというのを申し込んだのだが、全部出払っているということで借りられなかった。日本人観光客がかなり多く、歩いているとほうぼうで日本語ガイドの説明が聞こえてくる。熟練したガイドはステレオタイプではあるのだろうが、なかなかおもしろい話をするものだと思う。たとえば、陰と陽、圓と四角、波など中国の世界観についてわかりやすく説明していた。館内では白人系の観光客グループに英国人らしい女性が英語でガイドしていたが、これは館内のボランティアなのだろうか。

博物院まえに客待ちしているタクシーには乗らないようにというように言われていたので、博物院の横手前にある中国風の庭園(至善園)の中を歩いていく。どこか日本の庭園を歩いているような感じがする。和風と思っていたものは実際には中国から取り入れたものも多いということだろう。日本の気候でいうと初夏の頃のような陽気とちょっと湿気のある風を感じて歩いていると、高校の時に習った漢詩の雰囲気を思い出し、その風情がぴったりという感じだ。

車の流れている通りにでてタクシーを拾いホテルへ戻る。再びホテル内の圓苑でおそめの昼食。到着した日と同じようにYen先生がなにか打ち合わせをされていた。私は少し離れたところに座っていたのだが、またまた発見されて、アジア・アメリカ禁煙協会の方と師範学院の方に紹介される。

ロビーのソファーに座って予約していたリムジンの時間を待っていると、ハルゼム氏がこられてポスターセッションの時間がどうしてもあの時間帯の他は設定できなかったと、わびて行かれた。たしかに他のプログラムと重なる時間帯の設定は最悪であったが、聞きにきたヒトは少なかったが、その分親しく詳しい話ができて、発表者一同は会議でもっとも活発なセッションであったと認識している、と答えておいた。次の会議はハルゼム氏の大学(米国、美国)で開催されるということで、ぜひまた参加してほしいといわれる。

ハルゼム氏はわたしにもわかりやすいやさしい言葉をつかって、非常に明晰に話される。一般的な(一般化できるほど知っているわけではないが)米国人の話し方とはちょっとちがっているように感じた。日本のK大学の客員教授もされているようであるので、もしかしたら日本人にわかりやすい英語のスタイルを身につけられたのかもしれない。

時間どおりリムジンで空港へむかう。搭乗手続き・出国手続きを終えて出発ロビーの免税店でおみやげを買った。CI-107便は予定よりすこし遅れて出発したが、わずか2時間半ほどで羽田に到着した。台湾から日本への団体旅行グループ、帰国する日本人のグループも多く、帰りも満席だった。こうして今回の印象深い台湾の旅は終わった。大陸との関係では台湾はこれからも難しい状況がつづく。どうかお会いした人たちに政治的な混乱や不利益がないようにと願う。



 

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