大学往来 

■大学往来インデックス


2001/01/28(日)「春休み」

昨日は柏でも朝から雪で、夜まで降り積もる。夕方除雪ボランティア。集合住宅の通路を除雪。雪が良く降る地域では自宅の前は雪かきをするのが約束だ。通路に雪が残っていると、すべりやすいのでエレベータのところまで除雪した。実際には除雪というようなおおげさなものではなく、ちりとりで通路の雪を通路端の溝のほうにはきよせるといったものだ。

今日は暖かく晴れ。プールへ。きょうは水温高めに設定してあった。昨日の分ということはないだろうが、いつもより混んでいた。

高校訪問のつづき。説明会が終わったあと、進路指導担当の A先生とすこし話をしたのだが、その中で、推薦入試で合格がきまったあとの「処遇」についての話題があった。つまり、高校では進路が決まった生徒よりもまだ進路がきまらない生徒に時間をかけるようになる。早く進路が決まる学生では極端なばあい、3年の秋口から翌年春までが「春休み」状態になってしまうことさえある。それで、進路先である大学側からなにか課題、指定図書のようなもの、を出してもらえると良いのだが、ということである。これに対してはその場では「高校の勉強が一番大切なので、半期間でもう一度復習されると良いのではないでしょうか」というように答えたのであるが、A先生の顔はどうもすぐれない。

入試委員会などの報告からこのような要望が他の高校から寄せられているということは聞いてはいた。その話を最初に大学で聞いたときには高校生に大切なのは高校の勉強であって、大学側がなにか課題を出すというのはある種の「越権行為」であると思ったのである。しかし、直接高校の先生からこのような話を聞くと、「現場」ではなかなか手が回らないという事情もありそうではある。

大学入試は推薦入試の比率が高まってきている。するとかなりの割合の高校生は秋口には進学先が決まり、その後の半年は実質的な「春休み」状態になってしまう可能性ということを心配されているのである。その間は高校側としては十分な学習機会を与えることができない、という少々深刻な告白でもある。このあたりは高校側ともよく連絡してなにかよい案を考えることが必要であるとも思う。と、出張報告書には書いておくことにしよう。


2001/01/26(金)高校訪問

午後から高校訪問。水戸市の近郊の町の高校へ。のどかな冬の田園風景のなか、小高い丘の上に位置して、付近にはちいさな港もちかい。今日は港を見に行く時間的余裕がなかったのが残念だった。漁港と丘の上の町というのは私の故郷の原風景であるから、知らない土地でもなつかしさを覚えることがある。

この高校への道々、大学はこのような「風土」にマッチした教育を行ってきただろうか、と思った。学問の世界はグローバルなものであって、地理的な位置とは無関係であることはわかっているのだが、きょう久しぶりに高校を訪れてあらためてそういうことを感じたのである。

所属する学部(長)の方針で、高校訪問では直接高校生に接する機会をもうけてもらうように高校へ依頼している。今日は20数人の2年生が話を聞ききに放課後集まってくれていた。進路指導の先生は本学のことは設立時からよく知っておられる方だったので、話もしやすかった。30分ほどなので大学の学部・学科の構成についての説明と、入試関係の案内のみ。「人間科学というのは、ひとことでいうと、人間のしあわせについて研究するところです」などと話したのだが、抽象的な説明だ。

説明会のあと、進路指導の先生と話したことは、これからは競争的な入試の時代ではなくて、大学と学生双方がお互いによく話し合いをした上で進学するようにすること、つまり、不本意入学やはいってみてこんなハズではなかった、というようなことを防ぐことが大切になるでしょう、といったことであった。その意味でAO入試制度というのは今後大切なものになっていくと思う。

生き返りの列車のなかで森島通夫氏の「終わりよければすべてよし:ある人生の記録」朝日新聞社2001年、を読みながら。ダイナミックな超一級の学者(数理経済学)の「自伝」の最終巻(第三巻)である。


2001/01/25(木)インターネット通信大学

今日は学園関係の記念日ということで休講。しかし、短期大学部は入試。

昨日の朝日新聞の夕刊にはインターネット通信大学事情の記事があった。

日本でのインターネット通信教育はまだまだこれから、という所のようであるが、今後興味深い分野だと思う。いろいろ問題はあるにせよ、通常の大学システムはかなり効率的なものであったことは確かなことだ。しかし、今後もそうであるかどうかはわからない。通信教育では個別対応が重要なポイントになるので(この点が従来の通信教育に対して優れた点になるだろう)、かなりの人的資源が必要になるように思う。現在の大学よりもむしろ高くつくということになるのかもしれないが、個別対応が基本になる教育サービスという点で、新しい選択肢になる可能性があると思う。記事のなかに、海外の大学の科目を受講して、「ダブルスクール」している学生の例が紹介してあった。


2001/01/24(水)研修

午後から会議。淡々。卒論書き直しの締め切り。レジメの添削。レジメの書き方でいろいろなことを推測できる。結局ほとんどの学生でレジメの修正と卒論本文もさらに修正することに。

卒業生のN君から官能検査関係の研修会についてのメール。受講料が高く、4日間で7万円ということで、企業向けのようである。このような研修を受けることで「心理技術」の一つの領域として心理学の出身者の「付加価値」が与えられるようにならないものかなあ、とも思う。ぜひ、学生向けの講座を検討してくださるとうれしい。この種の研修は東京などで開かれることがほとんどなのでこの面もなんとかならないかなあ、と思う。

このような「職業的訓練」の性格をはっきりと打ち出すことは大学教育の中ではなじまない面もあるのだが、実際には心理的測定方法や心理統計学の応用なのである。これまでにも多少この方面の内容について講義の中でも触れるようにしてきているが、もう少し体系的に話してみるのもおもしろいかもしれない。


2001/01/23(火)選挙

大学時代の友人からメールで、ある学会の選挙「運動」。これまで学会の役員の選挙はほとんど投票してこなかったのであるが、文面から、このところいろいろ解決すべき問題も生じている模様で「一票」でも必要というような状態のようだ。学会の投票はいわゆる「組織票」がほとんどで(誤解かもしれないが)、とても民主的と呼べる状態ではないと思っていたことも、投票の権利を放棄してきた理由であった。「学問的な正しさは多数決では決まらない」という学問主義と、「数の上での民主主義」の「争い」のようでもある。こまったものである。この学会はかなり大きいので会長になったら何をするのか「立候補」演説でもして、立候補者のなかから選挙するようにすればよいのかもしれない。生徒会でさえこのような選挙を行っているのだから。ただ、現状の投票システムで、学問的な良識が数の上で保たれるものなのかどうか私には予想がたたない。

卒論のレジメの添削。その実験や調査について知らない人がそれを読んで内容を把握できるように書こう。一度、声にだして読んでみれば、すぐに判断できるのでは?


2001/01/22(月)実験実習の課題

午前中、試験結果の転記処理など。ごごから実験実習の最後のインストラクション。今日で実験実習は終了した。ことしはTAを二人お願いできたので、いろいろ助かった。とくに前期は体調を崩しがちで休んだことが何回かあったのだが、実験・実習に穴をあけないですんだのは TAがいてくれたからである。後期も学会出張があったのだが、そのときにも同様に通常どうり実験をすすめることができた。そのほかにも、直接私に聞くよりも(授業などで部屋にあまりいないせいもあって)、TAのほうが学生もいろいろ実験について質問しやすい、という面もあったように思う。タメ口きいてくれるTAがいると、実験実習の雰囲気もなごやかなものになるように感じている。

課題については実験実習1(2年生)は基本的な実験をカバーする必要があるので、あるていど決まってくる。他方、実験実習2(3年生)のほうは、すこし応用的な展開ができるようなものを考えているのだが、毎年、「専門的」すぎたり、「難し」すぎたり(使える時間に対して)で、まだまだ再考の余地がある。

ともかく実験実習は学生もなかなか負担であるが、このようなレポートをとにかく2年間書き続けた経験というのは大きいものなのである。特に最近ではほとんどモノを書いた経験のない学生が多くなる傾向にあるが、それはひとつにはこのような実習科目が用意されていないことにもよるのであろう。しかしながら、大半の学生はレポートを書く技量に相当の進歩が認められるのであるが、進歩がみられないものもあるし、逆に「退歩」しているケースもある。これは私にとっては宿題の一つである。

大学ではある程度、量的な面も評価される傾向にあるが、「社会」ではむしろ短く・無駄のない文章が要求される。無駄に長い報告書はほとんど読んでもらえない、と考えるほうがよいだろう。ある程度の量をこなせるようになったら、次は、それらの内容を整理し、読んでわかりやすいかどうか、という点に注意をむけて再校すると良いと思う。簡潔で、必要にして十分な内容をもつレポートを書けるように、さらにトレーニングをつんでほしいと思う。これは本当の「能力」として評価されるものであると思う。


 

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