大学往来 

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2001/02/18(日)官僚

今週の何曜日だか忘れてしまったが、午前中あるテレビ局で田中康夫・長野県知事の報道番組をやっていた。長野県の地元のテレビ局が制作したもののようだった。田中氏の集会で直接「住民」の声を聞き、議論をするという「現場」を追いながら、田中氏と県の家光(光家?)土木部長のそれぞれの単独インタビューを織り交ぜながら進行していった。この土木部長は(旧)建設省からの「出向」の方で、48歳と若い。田中氏は44歳。

この番組で印象的だったのは、最初はいかにも官僚的に感じられた土木部長の「変化」であった。まず、県の説明会ではこんなに「住民」が集まったことがない、というのが最初のショックのようであった。また、ある集会の場面で、住民に「あんたは土木技術のエキスパートだろう。本当にこのダムが必要と思うのなら専門家としての信念をもった発言がなぜできないのだ」と諭された場面があった。番組ではこのころからこの土木部長にすこし変化が見られ、「なにがなんでも実施をしようというのではない」というような「しなやかな」態度がでてきたように感じられた。

田中氏から学んだことは、という質問に「行政もきちんと説明をしなければいけない」、「プレゼンテーション」、など意外に?謙虚にインタビューに答えていた。田中氏の「公僕」論が実際に浸透していくのは、まだまだこれからであろうが、若いエリートに芽生えた変化に多少の希望を感じたのである。

春休み中は更新が不定期になると思いますが、ときどきはどうぞお立ち寄りください。


2001/02/15(木)bit休刊・立教大学のPalm計画

情報処理教育についての会議の資料にと思いbit誌今月号を久しぶりに買った。初等中等教育での情報処理教育という特集だったので。大学での今後のカリキュラムを考える資料になるかなあ、と。特集とは関係ないのだが、bit誌はなんと来月号で「休刊」になるそうだ。33年間も発行されていた、というのも驚きだったが、部数の減少と広告収入の落ち込みが理由とのことだ。最近のパソコンなど情報環境の普及は追い風になっているのかと思っていたのだが。bit誌のエッセイはなかなかおもしろいものが時々あってもっぱら図書館で読んでいた。毎号読んだわけではないが「アレフ・ゼロ」とか「電脳雑伎団」などは私が読んでも面白いものがあった。

webニュースによると、立教大学とパーム コンピューティング社はPalm OSプラットフォームを利用した「教育・研究用情報環境」を共同開発するということだ。携帯電話でも類似のサービスは可能だが、Palm OSであればかなりのサービスが可能であろう。詳しいことは書いてないが、通常のwebサービス(教務情報、掲示板など)に加えて、実験データの収集、分析、情報の共有なども考えられているようだ。とくに面白いのは、「講義に必要な情報をインターネット(おそらく学内無線サービスを考えているのだろう)からダウンロードできるようにすることが考えられているそうだ。これはもちろんノートパソコンでもできるし、その方が便利だが、価格の問題、重さや電源問題を考えるとPalmプラットフォームのほうが現実的だ。キャンパス内では(無線サービスで)webコンテンツを利用することができ、講義の内容が「ビーム」されて、自宅に戻ってノートパソコンに「ホット・シンク」する、というのはすごくよさそうだなあ。

「今後、立教大学はパーム コンピューティングとの共同開発を通じて、持ち運びに便利で、手に入れやすい価格でありながら、機能的なPalm OSを活用し、単なる簡便さにとどまらない、教育・研究環境の実現を目指していきます」ということで、要注目だ。


2001/02/14(水)屈折

週刊アエラ(2001.2.19号、P.16-17)に、どういうわけかマックMacintoshの不調についての記事があった。

記事で指摘されるようにCubeの失敗が大きいことは確かだろう。あたらしいMacを売り出したときの「歴史」に丁度重なるように思える。最初のMacはコンパクトですばらしいデザインだったが、明らかなハード面での制約が素人目にもわかる、というものだった。そのあと、これを手なおしたMac+は市場に受け入れられたという経緯がある。不良品問題もからみ、お粗末だったこともあるが、今回のCubeの不振はむしろマーケティングにあったのだろう。

iMacが斬新なイメージを失ってしまったことも指摘されている。しかも価格競争力も低いものになってしまった。高品質なブランドイメージのヒューレットパッカードの入門ラインは49800円だ。

そのほか、記事の中では「販売店との関係」がまずいことが指摘されていた(「売り方が高飛車だ」)。この点については「消費者との関係の悪さ」もあげなければならないなあ。

新OS Xは「最後の賭」と書かれている。雑誌MacLifeの消費者テストを紹介している。60名のMac愛好家での試用評価は二つに分かれたそうだ。結論としては「先行き不安」ということのようだが、まあ、いまのままでもMacはニッチ市場に甘んじるのであれば利益を上げて生きていけるとは思う。

「不振問題」についてさらに一ユーザーとして思うところを追加してみると、

背景として、需要に対応できなかった、という点が大きいと思う。これはPC本家のIBMが振るわなかったことを見て、オープン化は利益にならないと判断したのだろうが、やはり一社の供給体制では第二の「ベータ」規格に甘んじなければならないだろう。しかし今日ではIBMはThinkPadのように「ウィンドウズにもかかわらずすばらしい」と感じさせるような製品を提供するようになってきている。ともかく、せっかくの使いやすいユーザーインターフェースを業界標準にできなかった責任は大きい。これはやがて業界全体に影響してくるだろう。このことがうたい文句であったfor the rest of usに反して、価格競争力をも失わせてしまった。

もう一つは、革新性である。アップルから新しいことが聞こえてこなくなっている。ファッション性以外は。私はパソコンに限らず商品のデザインは非常に大切だと思うし、重視もしているが、それはあくまでも「中身」(ハードでもソフトでも)に満足できるという条件がつくだろう。実はこれが一番深刻な問題のように思える。

ユーザーとして感じているこのような問題が、実は「帰ってきた救世主」がアップルを救うために犯してきた「罪」であるということが事態を複雑にしているのだろう。

またありえない想像にすぎないが、もしかして、使い方が簡単すぎて初心者の期待を裏切ってきたのかもしれない。「こんな簡単なのはパソコンではないにちがいない。本物のパソコンはもっと難しいはずだ。」パソコンはむずかしいものだと信じている人はPC環境でおおいにその信念の正しさを確認できるのである。いっぽうマックでも「マックはやさしいやさしいというけれど、つかってみるとちっともやさしくないじゃないか」ということもありうる。どっちの不協和が大きいのだろうか。

PowerBook G4を欲しいと思ったり、ああなんだか我ながら屈折しているなあ。

昼休みに教室会議。


 

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