見学合宿・2006夏

ゼミ合宿日誌 2006/8/30 資生堂

資生堂ビューティソリューション開発センター
 今年から資生堂ビューティ・ソリューション開発センターと名称変更になったとのことだ(旧ビューティ・サイエンス研究所)。研究所の建物ももう20年近いということで所内改装があちこちで行われていた。実験心理学の出身である研究員の平尾さんには見学の趣旨をよく理解していただきこのところ毎年お世話になっている。

所内見学
 まず、平尾さんが主に仕事をされている脳波などの心理生理学的測定を行う生理心理研究室を見学した。生理心理研究室には、3平方メートルくらいのシールドルームが設置されていて内にはソファーがおかれ、香りや化粧の心理・生理的効果を測定するようになっている。たとえば、ストレスに対する香りの効果を測定する研究の場合、ストループ課題や圧迫面接条件などがストレス条件として設定される。このような基礎データを活用して開発された製品にZEN(オードトアレ、バラ系の香り)があり、宇宙飛行船内でのストレスを緩和する目的でNASAと共同開発されたものだという。
 また、さまざまな気候条件を再現できるフィットネス・ジムのような設備を備えた実験室もあって、化粧くずれや日焼け止めクリームの耐性などが調べられている。健康は美容において大切なコンセプト(肌・体・心)を構成する要素と捉えられている。ダイエットや運動の「肌」への効果が重要なテーマになっているようすだ。これに関連して体のプロポーション測定の可能な体脂肪計や骨密度測定器も開発されている。唾液サンプルによる免疫機能の測定方法はよく知られている。
 つづいて、メーキャップ設備の整えられた研究室ではスタッフやパネル(化粧品の使用感・品質を評価する「被験者」)の方が実際に化粧品を使用した調査が実施されていた。
 所内には、メーキャップアーティストのための併設専門学校・美容室、フォトスタジオもある。フォトスタジオは現在使用中ということで残念ながら見学できなかった。製品のコンセプトを表現する華やかな作品が一階の受付ロビーに展示してある。これらのポスターとともに、リアルタイム・メーキャップ・シミュレーション・システムの試作品が展示してあった。これは「鏡を超える」鏡というコンセプトで開発中ということであった。これまで静止画による化粧効果のシミュレータはあったが、ここではさらに動画でリアルタイムでシミュレーションするシステムが試作・展示されていた。このようなシステムのソフトでは映像の自然さや使い勝手が大切だが、これらの評価にも心理学測定法を応用することができる。ロビーにはこのような新しいシステムがときどき展示されているようである。

研究組織紹介ビデオ
 所内見学の後、研究所組織の概要とその研究内容について広報ビデオを見た。見学先の多くで、このようなわかりやすい広報ビデオが作成されている。

プレゼンテーション
 続いて平尾さんより「化粧と人間」についてのレクチャーを受け、心理学に関係する研究動向を知ることができた。この後、フリートークの時間で質問や感想を受けていただいた。

価値を創造する
 平尾さんのプレゼンテーションは「化粧やエステの起源」から説き起こされるものであった。毎年見学の度に思いを新たにするところだが、この研究室には単に「製品」の特徴や効果を調べることではなく、「人間にとって化粧とは何か」という本質的・根源的なところまで背景として捉えようとしている姿勢を感ずる。これがすごい所だと思う。これは特にイメージ、ブランドにかかわる価値創造産業の根幹にはこのような人間についての本質的な理解が不可欠なのだと思う。科学技術としてのモノそのものの知識の重要性は言うまでもないことだが、今後はメーカや産業において人文科学や社会科学的な人間理解が極めて重要になると思われる。人間の価値観や来歴についての理解や知識がモノを生み出す科学と関わり新しい価値を生み出そうとしている。これは私の考える心理学を含む「実践系人間科学」としての一つのモデルになっているように感じている。
 ある製品を開発する場合を例にして話された。製品を開発するには「市場の分析」)、商品のコンセプト(企画)、商品の規格・仕様の決定、実際の製品の開発等のプロセスがある(あるいは個人の「天才的な」直感による場合もある)。これらにはもちろんモノを作り出す技術的条件が前提となるが、「人間の条件」を含めたコンセプト(企画)が非常に重要な要素なのである。

具体的製品
 例としてqiora(キオラ)、AYURA、CARITAなどが「心と肌」をコンセプトとして心理・生理効果や化粧の価値を検証しながら開発されたものとのことだ。

プレゼンテーションの概要

(1)平尾さんの自己紹介をかね、この研究所で働くようになった略歴を話された。
(2) 化粧の流行の変遷をその再現モデルでしめされた。60年代の古典的な美人観、70年代の欧米西洋指向、80年代は「キャリアーウーマン」、そして90年代のほそい眉に象徴される化粧である。これらは(私も初めて見たときには全然わからなかったのであるが)実は同一人物である。男性はほとんど「だまされる」が女性は同一人物だと気づく人が多いのだそうだ。ここに化粧価値の源泉がある。
(3)化粧の歴史。人間はなぜ化粧をするのだろうか。歴史・文化的研究の分野が存在する。
(4)化粧品にはモノとして安全性、安定性、使用性、有効性が求められるが、さらに重要なのが「心理」の側面(ブランドや価値)である。
(5)さらに心理の問題として化粧の果たす機能的効果の研究がある。たとえば、化粧やエステの根源には人間的な「ふれあい」や幼児における「タッチング」や、動物でのグルーミングなどが相当する。
(6)「心理効果」は直接示すことが難しいので(説得の材料として)これを客観化する工夫や技量が必要。現在は生理学的指標で補強することが多い。たとえば、香りによるストレス緩和効果は唾液によるコルチゾール成分の測定値で示す等。
(7)「肌(美容)へのさまざまな影響や効果を総合的に研究する。人間の理解(心理・生理・文化)も重要な要素である。
(8)メーキャップの効果(自信・安心)を行動的には化粧後の行動観察によって知る研究(鏡をみてにっこりほほえむ等)やファンデーションの効果をアイカメラで「実証」する研究例。
(9)化粧療法(身だしなみをととのえることのさまざまな効果の研究)。フランスでは病院内にエステシャンを配置し、リラックスしたり、身ぎれいにしていたいというようなQOL(生活の質)を高める試みが行われている。日本でも老人施設でボランティア的にこのような試みが行われている。

 

大学での勉強
 ゼミの見学会ということで大学で学ぶ心理学について触れていただいた。大学で学ぶ基礎心理学や実験的手法、測定手法はそれ自体「心理効果」を示す技術として有用であることを指摘された。ただし、それらを「現場」に適切に生かすには教科書には描かれていない独自のセンスが必要とされるだろう。また、一見華やかな製品の陰には地道な作業や苦労があることも指摘された。

感想
 一つの製品開発には非常に多数の人々が関わって成り立っているものである。このような現場において人間的条件(ヒューマン・ファクター)を発見することが応用心理学者には大切な点であろう。特に価値を創造するメーカーの場合、製品のコンセプト策定において人間についての知識が特に重要な役割を果たすように思われる。価値や「心理的効果」を具体的に定義し、測定する技術については基礎心理学を勉強した人が一番得意な所ではないだろうか。

 平尾さんがなぜこのような仕事に関わるようになったのか、という点は学生も知りたいところであったと思うので質問したところ、前に勤務していた会社にいた時にある産学協同事業の仕事をしていたことが直接のきっかけだった、と話された。

 資生堂のような価値創造メーカーでは、人間についての知識とモノづくりの共同作業の過程に「実践系人間科学・実践系心理学」の一つのモデルを見る思いがする。ここには、心理学に何ができるの?と聞かれたときの一つの答えがあるように思う。



臨光謝謝

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