空想科学 

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2001/08/12(日)ビデオ編集終了

ここ数日、ADSL(Asahi-netのe-option)がやっと1メガを超えるようになってきた。開通したころは600〜せいぜい700Kbpsだった。前よりも動作が多少速くなってきていることで気がついた。おぼん休みで回線がすいているせいか?

このところの料金値下げや8メガ回線サービスが開始されるなど、明らかにヤフーの影響だろう。

ビデオの編集は終了。全くの初心者だったが一応タイトル、編集、画像切り換えの効果を追加したり、最後に映画のクレジット風のテロップをいれたりすることができた。この意味ではiMovie 2はよくできたソフトだ。しかし、何度かフリーズした。

完成ムービーはDVビデオテープに書き戻すのが劣化もなく一番きれい。クイックタイムムービーは「CD-ROM用ムービー(中)」オプション(MPEG1相当?)だとやや品質不足の印象(しかし、90分程度のムービーはらくらくCD一枚に収まる(2時間程度おさまりそう)。「高品質ビデオ(大)」を選択すると(MPEG2相当?)、圧縮率が低いせいか書き出し時間もだいぶ速いし、品質は十分である。しかし、CD一枚だと20分程度しかおさまらない。DVD-Rがほしくなる。DVD-RやDVD-RAMとか紛らわしい規格がまたまた分立していてややこしい。これは「普及」にはマイナスだが、規格の違いはささいなものであれば、あらゆる規格の読み書きできる「スーパー・コンボ」という方向もありうるか。最近はノートパソコンもDVD-ROMがついているものが多くなっているし、一般のDVDプレーヤーでも再生できるDVD-Rが「本命」なのかなあ。しかし処理にはものすごく時間がかかるので、まだまだ技術的な変化がありそうだ。


2001/08/11(土)月光仮面になれなかった

金子勝先生の「月光仮面の経済学」(東京新聞連載、8/10夕刊)は「よみがえれ、「正義の美学」」というタイトルだった。金子先生は私よりわずか上の世代だが、月光仮面の記憶は私にも残っている。おなじように風呂敷で覆面をして(おもちゃのサングラスがあったと思う)「正義の味方」の戦いだとは知らずチャンバラをして遊んでいたのだ。

金子氏は月光仮面はテレビ最後の「生身の変身ヒーロー」(今日的な表現では「等身大のヒーロー」か)としてとらえ、変身したからといって超能力を身につけるわけでもなく、「日本製の原付ラビット」にのって「たった一人で悪の集団と戦おうとしていた」のだ。このような等身大の月光仮面の活動範囲は「せいぜい10キロ四方」の範囲に限られるが、(当時は)風呂敷で覆面をした月光仮面(今日「月光仮面になりそこなった大人達」)が町々に存在していたからなんの心配もなかったのである。

なぜ月光仮面の子供達は月光仮面になれなかったのだろうか。金子氏は町々に散在していた月光仮面になりそこなった大人達が一斉に変身するしか今日の状況を打開することはできないことを訴えている。つまり月光仮面の到来を待つのではなく街角の月光仮面が多数現れることが必要なのだと。

今日でも、「せいぜい10キロ四方」の中で「がんばっている」人が多いと思うのだが、そのことが今日のような状況をもたらしてしまったというやりきれない面もある。控えめに変身し、「控えめに正義」をなし、控えめに「自分の利益」について思いをいたすことで月光仮面になれるのかもしれない。すくなくとも、だれが月光仮面ではない、のかを誤らないようにしなければ。


2001/08/10(金)大学公開の催しはなぜ似ているか

各地の大学で「キャンパス見学会」、「オープンキャンパス」などがさかんに開催されている。われわれの大学も同様である。このような催しは私立大学に特有のものかと、思っていたが、日記サイトで他の大学の様子をうかがうと、かならずしも私立大学ばかりではないようだ。しかし、その名称までが類似しているのはなぜだろうか。名称ならまだしもプログラムも似通ったものであるようだ。

大学の「内容」は学部毎に非常に異なるが、形式的にはそれほど異なるものではないから、短時間でそれを紹介しようとすると類似したものになってしまうということかもしれない。あるいは「受験産業」による「営業」が最初のきっかけを作ったのかもしれない。受験産業というのは大学、特に私立大学に対しては、ある意味では旧文部省よりも大きな影響力をもっている、とも言える。ともかく、日本で「キャンパス見学会」や「オープンキャンパス」を最初に始めたのはどこの大学なのだろうか。


2001/08/08(水)iMovie 2

PowerBook G4に付属してきたiMovie 2というソフトで「デスクトップビデオ」体験。印象はともかく時間がかかる、というものだ。

まず、DVビデオのキャプチャーに撮影時間と同じ時間かかる。今回は100分ほどの録画。これはまあ一度やればよいので我慢できる範囲か。ファイル(クリップと呼ばれるらしい)の最大時間ははおよそ9分(正確には9分28秒02)らしい。撮影の区切りがあるばあいにはそこで新しいクリップが作られる。これより撮影時間が長い場合は、自動的にクリップ1、2、、とできあがっていく。編集作業はすごく楽ちん。タイトルなど簡単につくれるし、映画のようなテロップにすることもできる。

最大の問題は完成後のファイルの書き出しだった。とりあえずCD-Rに納めたい。ということで、650メガバイトを目安にしなければならない。クイックタイムで「 CD-ROM用ムービー(中)」に書き出すと、CD一枚に50分間程度収まるらしいということがわかったが、問題なのはその処理に要する時間であった。マニュアル本をあたり、この処理時間についてさがしてみたが、どうも書いてないようだ。

PB G4はかならずしも非力というほどではないとは思うのだが、とりあえず前半の50分間ほどをかきだしているが、なんと5時間!ほどかかるらしいのである。PB G4はなんだかファンがまわりだすし、最後までダウンせずにいけるだろうか。ハラハラですわ。これでCD-Rにおさまらない、ということが判明したら、、、いったいどうなりますまんねん。CDはあきらめてDVビデオテープに書き出すべきかなあ。

こりゃとても「あなたも名監督」というわけにはいかないなああ。処理に入ったらひたすら待ち。ちいさいムービーにすればよいのかもしれないが、なにしろ講演会のテープなのでそうもいかないのであった。なにか方法を間違えているのだろうか。


2001/08/07(火)戦中派

昨夜ニュースステーションをみていたら、自民党の野中氏が靖国参拝問題で登場していた。戦争責任については野中氏の見解が「戦後」政治の見解だったと思う。自民党の「護憲派」(というよりも、なにがあっても戦争だけは二度と起こしてはならない、という使命をもった戦中派というべきかもしれないが)のこんなにはっきりとした見解をテレビのニュースで直接聞いたことはなかった。それだけ「危機」的状況に追い込まれているということだろう。それにしてもこのような尊敬すべき意見を持つ人々の集団が、なぜ今日のような事態をまねいてしまったのだろうかとも思う。最近のニュースステーションはあまりに騒々しくてみないことが多かったのだが、昨日の「靖国問題」についての報道は冷静で良いものだったと思う。首相は明確な言葉で野中氏に応えなければならないだろう。

一方東京新聞で靖国問題への対応を「本来の神道」のあり方を示しながら批判を展開していた梅原氏のコラムは一転して「プロ野球の危機」というものだった。もう十分に意見した、ということなのかもしれないが、このタイミングではどうもなんだか拍子抜けであった。梅原氏は神道について「敵をまず尊敬する」と述べられていたが、この点にどうしても一方的な、あいての気持ちを考えない素地があるように感じてしまったものだ。


2001/08/06(月)DVビデオ

先日の講演会ではじめてDVビデオを使ってみた。学会などでもメモがわりにビデオを回している方を散見する。今回DVビデオの威力を感じたのはOHPやスライドなどの細かい文字などもきわめて明瞭にモニターできるということだった。もちろん小さい文字のOHPやスライドは使わないのがよいのだが、実際には小さな文字やこまかなデータが出てくることがよくある。音声については指向性のあるマイクを外付けにしていたせいか、比較的明瞭に録音できていた。

記念にと思いパソコン(PowerBookG4とiMove2)で編集している。パソコンに取り込んだところ80分のテープで19メガバイトになった。これを編集してファイル圧縮してCDビデオにすればなんとかCD一枚に収まるかもしれない。IEEE1394というのは初めてつかったが、ビデオカメラ(Sony DVR-TRV10)、外部ハードディスクともすんなり動いている。

この経験から、小型のDVビデオと高性能マイクがついていて、直接クイックタイムなりMPEG-2なりに変換されたデータがとりだせるようなものがあれば便利だなあと。


2001/08/04(土)講演会

午後からI先生の講演会にいく(都立大、人間工学会・官能検査部会の後援)。私が大学院生だったころに渡米されてからはお話を伺う機会は少なくなり、ときおり一時帰国された際に開かれる講演会でお目にかかるだけ、というようになっていた。

どこで読んだのかは思い出せないのだが、先生はご自身のことを「Made in Japanの学者である」とお書きになっていたことが印象に残っていた。もちろん日本におられたころから海外の研究者との交流は広くされていたので、それらと独立であることは不可能なことなのではあろうが。オリジナルの研究という矜持をもっておられたのであろう。

今日は「表色空間と視空間」についての話をされた。全体のイメージはなんとなく把握することができたが、米国風の「わかりやすい」講演の仕方をされたのかもしれない。このような話の延長にはより広範な知覚現象を含む知覚空間さらに行動も含めた空間の研究があるものと予想される。しかし限定された「静的」な状態でさえ、いろいろ難しいのに、いったいどんなものになるのだろうか、と思った。

懇親会の席で官能検査に関係しておられるN氏が「官能検査は「文科」と「理科」の両方の面をもっていて、21世紀はこれらの融合が(教育上また研究・開発上も)必要ではないか」という挨拶をされた。たしかにこの分野では統計や数的な処理が多用されるために「文系」な心理学専攻者には敷居が高いという面がある。その一方、工学者(文学博士でもある)Y先生の質問では「心理尺度」についての理解が不十分である、との印象も受けるのである。「文理融合」は決して新しい話題ではないが、「現場」と教育体制のミスマッチの例であろう。このような学際領域では、「文理」に優れた人材を育てることが理想的なのだが、共同研究・開発体制を実現することが実際的に必要である。心理学もおおいに貢献できる領域であると思う。


2001/08/03(金)アドレス

今年のゼミ合宿の見学先について問い合わせ中。メールアドレスが変わっている方もあって別の人に問い合わせたり、電話したり。仕事の時間中の電話は避けたいのであるが。転勤などで住所が変わるのはしかたのないところだが、メールアドレスはなるべく変えないでほしいなあと。卒業後も変わらないメールアドレスを提供する大学もあるようだが、大学名が残るところが「内輪」でしか使えず、ちょっと難ありか。

心理学の資格問題。わたしが一番問題だと思うのは教育内容と現場のミスマッチ、資格基準に一貫性がないこと、閉鎖的であることだ。オープンな資格試験制度にするべきだと思う。資格の問題もあるのだが、その後の現実的な育成体制の方が重要なのではないか。また、しっかりした法律なり条例ができないときちんと仕事することはできないので、この意味でもきちんとした(先進諸国と比較して遜色ない、公にみて納得しうる)資格制度を実現してほしいと思う。


2001/08/01(水)集中講義

昨日から試験の採点をして、教務課に提出。

大学は夏期セッション(集中講義)で学外講師の方の姿がめだつ。最近は冷房が完備されるようになったので教室環境としては問題ないようになってきた。しかし、夏期セッションは以前は「集中講義」と呼ばれていたように、セメスター(学期)分と同じ時間数を連続して講義するようになっているところが多いようである。しかし、「単位」という概念に縛られているのでいろいろ難しい点もあるのだが、通常の学期中とは異なる性質の講義をアレンジしてもよいのではないかと思う。

夕刻、非常勤をお願いしているM先生と学生二人を交えて大学の近くの「すし健」でささやかな夕食会。学生二人のテーマがM先生の分野なのでいろいろ参考になったと思う。


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