空想科学 

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2001/08/26(日)「音のかなたへ」

NHK人間講座の「音のかなたへ:京都・アジア・ヨーロッパの音風景」(中川真氏)のテキストを数日まえから読んでいたら、テキストの最後の方に武満徹氏の曲のことがでていた。ひさしぶりに聞きたくなって、石川セリのCDを買った(「翼:武満徹ポップ・ソングス」)。透明で浸透するような響き。ついでに、彼女の夫、井上陽水の「ユナイテッド・カバー」もついつい買ってしまう。ユナイテッド・カバーの方は、懐かしい歌だが、新鮮な印象だ。他の歌手のレパートリーを思いかけずうまく歌う歌手がいるが、そんな意外な印象。こちらは懐かしさが先に立つ。「音のかなたへ」は文化人類学の分野なのだろうか、「音の風景」(サウンドスケープ)というジャンルの話。聴覚に関係する話題が多く面白い。でも「宇宙との一体化」とかでてくるとぎょっとするところもあるが、そのようにしか表現できない「体験」はたしかにあるのだろう。「コスモロジー」をこのように陽に言及できるのは「聴覚心理学」と比較するとうらやましいなあとも思う。


2001/08/23(木)ライブ・Palm

会議のため普段より早く出校。途中、利根川などいくつか河をわたるが、どれも河原まで水が来ていていつもの3倍ほどの川幅になっていた。会議そのものは短かったが、話題は台風一過の空のよう、とはいかない。

会議がおもったより早い時間におわったので、帰宅して行動分析学会のシンポジウムのライブ中継を見た(西南女学院大学)。S先生の講演の時間には間に合わず、残念だった。RealPlayerによる中継。さすがに画像が小さくOHPはかなり大きな文字や図でないと判読は無理だった。ただし音声はマイクの状態さえよければ明瞭だったので、十分実用的だと思う。グラフ類があらかじめwebなどで公開されていればよいのかもしれない。

大学でのPDAの利用について、立教大学の「実験ゼミ」の記事があるということで期待して買ったPalm Magazine No.7(アスキー出版)だった。全学的にどのようなシステムになるのかについて知りたかったのだが、新しい情報が少なく、記事そのものはやや期待はずれだった。

Palmの利用では、小学校の例だが、アサヒパソコン()の記事が面白かった。改造したPalm ( TRG pro、コンパクトフラッシュ拡張スロットのあるタイプ)にPHS, GPS, カメラ、各種測定(温度、湿度、PHなど)カードをとりつけて、いろいろな調査に利用する。しかも、「ラジオ体操の出席カード」からヒントを得たというストラップ付きとのことだ。改造はIBMが担当したということだが、これこそ、教育でのPalmの原型だ。こんなPalmがほしいものだが、「市販」されないのが残念だ。


2001/08/22(水)ワーム

ほとんど読むばかりのメーリングリスト(fpr)から届いたメールが「ウイルス」に汚染されていた。さいわい大学のサーバー管理者のおかげで、防御して削除してくれていた。TROJ_SIRCAM.A。警告では「ウイルス」になっていたが、このタイプは「ワーム」と呼ばれるらしい。定義はよくわからないが、「自己複製」?という性質をもっている、やっかいなもののようだ。fprでは初めてのことらしい。このメーリングリストはインターネットや情報化について詳しい人が多いと思っていたが、汚染の危険はどこにでもあるようだ。気づかずにウイルスを配布してしまうこともある。便利さの代償とはいえ、やっかいなことだ。この種のプログラムを何にたとえるか、「進化」や「病」によって、新たなタイプの出現のヒントになっているのかもしれない。「天敵」プログラムをネットに放つ人はいないのだろうか。

台風11号はどうやら衰えてきた様子で、関東地方にはめぐみの雨ということになりそうか。


2001/08/21(火)台風

台風が近づいている。ここ数年上陸した台風がなかったという。私が経験した台風で一番大きく、また、怖い経験をしたのはたぶん伊勢湾台風だったと思う。ただし子供の頃のことで、記憶があいまいになっていて、年号や経路からの推測であるが。私の住んでいたところは直接台風の進路ではなかったので、別の台風の記憶かもしれない。風雨はげしく、みしみしと音を立てて家を揺すり、それこそ家が吹き飛ばされるのではないか、と怖かったものだ。それでも、台風や嵐というのは非日常的な感じがして、不謹慎だが、どことなくこころ踊るものがあるのは不思議だ。

数年前に「弱い温帯低気圧」というような表現が問題になったことがある。台風のレベルでの比較の話だが、「弱い」とか「ふつうの」と表現されるとついつい警戒を怠ってしまいがちになる。「野分け」というような優雅な言葉もあるが、台風のいろいろな状態を表すことばは意外に少ない。台風を含めて、気象上の「異変」について女性の名前がつけられるのは気象学上の習慣なのだろうか。

数年前に教務関係の委員をしていたときに、委員会や当局と相談して「台風接近のため休講」措置をとったことがある。このときは予報進路の東端を遠くはずれて通過したために、まったく空振りだった。

明日は会議が一つ予定されていたのだが、延期の連絡があった。


2001/08/19(日)おじバカ

2歳の甥から電話。おばあちゃんにダイヤルしてもらったのだろう。最近弟ができたので、両親にかまってもらえなくなったのか、だれかあそびあいてをさがしている様子で、こんどあそびにくるという。姿を直接見なくても電話の声でわかるようだし、時間的に先のこともわかっているようだ、というのはちょっとすごいことかも。おじバカになりそう。

昨日夕方ひさしぶりにプール。通っているスポーツクラブはお盆の週が休みなのが残念。小さい方のプールは半分のコースが水中歩行用になっている。隣のコースで泳ぐと歩いている人たちの動きで流れができるのか、その方向にのると泳ぐのが楽。

ところが今朝の新聞には「あぶないプール」についての記事。最近のプールは「循環濾過式」がほとんどで水をほとんど交換せず、フィルターと塩素消毒にたよっているとのことで、管理がまずいといろいろ問題がおこりそうだ。ユーザーとしては水くらいとりかえてくれーと言いたいところだが、「資源」の節約のために叫ぶこともできないのか。皮膚の過敏な人にはいろいろ障害がでている例もあるらしい。きれいなプール、というのは新しいビジネスチャンスかもしれない。前に通っていたスポーツクラブさんがんぱって。


2001/08/18(土)調査

スクールカウンセラー(文部科学省の調査研究)によると研究校では欠席率が減少するなどの「効果」が確認されたということで、次年度「前倒し」でスクールカウンセラーを増員するという新聞記事があった。そのこと自体はけっこうなことなのであるが、この種の「効果」がはっきりと認められる調査データというのはむしろめずらしい。これまでお役所の対応は「因果関係」にたいしてきわめて慎重な態度をとってきた、という印象をもっていたので、意外の感。どのような調査なのかそのデータをみて検討してみたいのだが、記事ではデータにはふれられていないのと、文部科学省のサイトにもまだのっていないようだ。心理統計での事例研究にも使えるだろう。


2001/08/15(水)「の」

昨日の「首相の談話」は無断引用があったという。村山談話をそのまま(無断)引用した部分があったという。レポート採点で一番頻繁に書く注意書きは「引用部分を明らかにすること」・「出典を明らかにすること」だが、まさかレポートでもあるまいに。

毎日新聞を読んでいたら「首相談話」と「首相の談話」は政治・行政的な重みが違うのだという解説があった。かなりふみこんだ内容だったが、「首相の談話」は「首相談話」よりも「軽い」ものだという。知らなかったが、これは常識なのだろうか。日本語に名調子をもたらす「の」は漢字変換ソフトでは警告がでるものもあるようだ。この「の」は悪用だなあ。

昨日テレビ(城山氏が出演されていた)で見たポツダム宣言の受諾を知らず(知らされず)に出撃した指揮官について。城山三郎、高い空の下で 東京新聞(8/15夕刊)、「指揮官たちの特攻:幸福は花びらのごとく」(新潮社 2001)がこの事実を題材にしたもののようだ。


2001/08/14(火)戦争の跡

昨日の靖国参拝についていろいろ思う。

テレビニュースを聞いていると、靖国参拝を積極的に支持する人たちの発言は、以前に富士山麓あたりの人たちと似たところがある。「純粋な気持ち」は何事も正当化できる、と考えていて、さらに「心の問題」であるとさえ述べた。また、信仰の問題だからそれは自由なのだが、首相自身は神も仏も区別されていないようだ、ということも驚きの一つだったし、あれは一体「参拝」なのだろうか、という気もする。事後に立派な談話が発表された。それだけ余計に「純粋な気持ち」と明らかに矛盾する行動をとらなければいけない理由はなんだろうか、と思った。

首相は「今日の日本の繁栄」は戦争で亡くなった人たちのおかげである、と述べていたが、それだけではないと思う。それは生き残って戦後一生懸命働いた人たちのおかげではないのか。また、理由はともかくいろいろな援助をしてくれた米国のおかげではないのか(小学校の体育館に転がっていた進駐軍の脱脂粉乳(スキムミルク)の紙のドラム缶であそんだ、なんていうとオトシが知れます)。戦争賠償金を放棄した中国のおかげではないのか。米国政府が参拝は好ましくない、と述べたら首相はどうしただろう。こまっているときに助けてくれた人たちに対して純粋な行動をとれなくしてしまったものは一体なんだろうか。

「聖域なき構造改革」はこれでなかば挫折して、暴力的な経済原理に国民をさらす危険を増すことになったのではないか、と恐れている。首相自身が自身の「圧力団体」を説得できなかったわけだから、他の「圧力団体」の代表をどのように説得できるというのだろうか。

テレビで最後の特攻隊の跡を訪ねる番組があった。かれらは15日正午をすぎて敗戦を知らずに飛び立ち、戦死したが、特攻による戦死として記録されていない、という。

私の亡くなった父はシンガポール・ジャワ方面で敗戦をむかえ、連合軍の「本土」進行ルートをはずれたために、なんとか生きて帰国した。もし、父が戦死していたら私もいなかったわけだ。海軍にいった叔父から、海軍は戦死する可能性が高いので次男以下が「とられて」いったという話を聞いたことがある。町内の何軒かは戦没者遺族の家族だった。高校の同級生には高名な海軍指導者の孫にあたる人がいた。角のちいさな食堂のおやじさんは旧満州から「引き揚げて」きた人だった。また、子供の頃に銃のおもちゃであそぶことを父はひどく嫌って、叱られていた。戦争の跡をかいま見ていたのだ。

私自身はお墓参りもめったにしない者なのでこんなことを言う資格はないのだが。


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