空想科学 

■index_「空想科学」 ■home


2002/3/29(金)「こころの専門家」

小沢牧子氏の「「心の専門家」はいらない」(洋泉社2002 新書y-057、700円)を斜め読み。現代心理学=「こころの専門家」ではない、という関係が事態を複雑にしている。特に「心の専門家」という言葉をきいて違和感をもたない人は読んでみるべきかもしれない。「心理主義」におちいりがちな傾向をいましめる意見であると思う。ただし、変なたとえだが、自民党はいやだけれども民主党もねえ、という支持政党なし層はどうすればよいのだろうか。

週刊文春(4月4日号)の精神科医師氏のコラム「こころのクリニック」は「メディアと精神科医」というタイトル。テレビでかれらに求められているのは「真実を語ることよりも世間が望む物語を提供すること」であって、ワイドショーの精神科コメンテータ氏らは「現在のメディア状況では、、、コメントを出す際に、ボクのコメントは真に受けないように、眉唾と思って聞いてください、というメタ・メッセージを送るようにしている」のだそうだ。真に受けている人は多くはないとは思うし、週刊誌やワイドショーはあくまでも見せ物なのだ、ということなのだろう。

小沢氏の本のように、心理学を勉強したり、「こころ」について考える人であれば「こころの」という言葉の使用には慎重になるものなんだけどなあ、と思うこのごろなのである。

春休みは断続的に夏の某学会用のサマリーをなんとか準備。われながら非能率の極み。


2002/3/27(水)歓送迎会

午後から大学院の会議。夕刻より院担当者の歓送迎会、寿司健にて。私も今年度から委員として「兼担」することになったので出席。大学院では開設時から「兼担」で講義を二つ担当してきていた。昨年度までの委員でない「兼担」の立場のほうが気が楽でよかったかなあとも感じている。大学院ができたのは比較的最近のことではあるが、初期の「混乱」の時期を過ぎて、特に社会人入学生制度ができてからは、看護系の院生の存在もあって、この大学院も社会的に一定の役割を果たしてきたのではないかと感じている。こちらも一段落しそうではあるが、今後はやはり「生涯学習」の機会を提供することが大切なのではないかと思う。

夕方、ネット接続のことで電算室のNさんに居室のPCの設定を見てもらった。「症状」はジャストシステムのiDiskのサービスがWeb上、ユーティリティソフトiDiskとも使えない、というものと、Nortonのライブアップデートができない、というもの。学外のサイトには出られるし、ファイルもダウンロードできるのだが、時間もあまりなかったので原因不明。Nさんは電算室からはiDisk(Web経由)が問題なく使えているとのことなのでやはり何か設定の問題なのだろう。こうなると、ドライバー類のバージョンアップ・ソフトの再インストールくらいしか手がなくなってきて試行錯誤におちいってしまいそうだ。ところでNさんは新学期から配置換えになるとのことでネット管理の面でちょっと心配。


2002/3/26(火)邪推

不正に大小はないのかもしれないが、「違法捜査」でみすみす犯人を無罪にしてしまう刑事物語を見るような脱力感がある。おおぎ大臣の「先輩からキチッと指導があったはず(で、こんな事件を起こすのはおかしいわよ)」という意味の発言を聞いたときに、「不適切なことがら」を適切に処理する「作文」の仕方を教わっていないの?、というように聞こえてしまった。

芳しくないことではあるが大学関係で以前問題になった「科研費」流用事件にも類似の「構造」があったように思う。


2002/3/24(日)蛇足

一昨日の運転免許センターの話に関係して、こんなサイト(「交通安全大学」)があることを教えてくださった(by「 お互い更新日記」3/23)。「注意」とか「不注意」という言葉は、講習の中では「注意をすればミスは防ぐことができる」という使い方で、これは一般的な使いかたである。心理学での「定義」はむしろ「法律」にみられる定義、客観的な条件や状況で定義する方法、に近い。安全心理学などの分野では、注意を呼びかけるだけではミスや事故を防ぐことは難しいこともよく認識されている。その上で「注意」を呼びかけておられるものと思う。講習では、注意を呼びかける際に、「どのように」して「注意」するか、という話があるとよいのではないかと思う。

紹介されたサイトは(全部読んだわけではないが)非常に面白いものだと思う。しかし、「交通心理学科」で述べられている「事故多発者」については以前読んだことのある交通心理学関係の本では否定されていたように記憶している(どのような事故データだったのかも不確かで申し訳ない)。日常的な場面ではデータのチェックの誤り率などにはたしかに個人差があるような経験をすることもあるが。ただちに「エラー頻発者特性」があると思いがちだが、もう少し考えてみることがありそうだ。また、「交通安全大学・文学部・交通心理学科」では、「」つきであるが、事故を起こす人とそうでない人の違いとして、

「性格」による、『運転行動』の違いが大きく左右しているのです。

と述べられている。この表現がどうも気になるのだが、どのように気になるのかを書きなさい、というのは交通安全大学の入試問題になるかも。


2002/3/22(金)運転免許証

午後から運転免許の更新手続きのため運転免許センターへ。前回更新のときは信号見落としの違反のため「ゴールドカード」を逃してしまったのだが、今回は5年間有効となった。しかし、6月からは軽微な違反一回であれば新しい免許の有効期間は5カ年になるそうだ。この対象者は免許取得者のおよそ7割であるという。

優良ドライバーはペーパードライバーが自動的に該当するのでよく非難される。私も今回は明らかに走行距離が少なくなっている。それでも違反や事故のなかったドライバーをわずかでも優遇することは良い制度であると思う。また、最近では保険料の割引対象になってきてもいるのも良いと思う。

問題の安全運転協会はあいかわらず机が設けられていて、受けつけの担当者がいたが、「ご協力」のお願いというポスターのみで、ほとんど勧誘は行われていないようだった。それでも割合は少ないが「協力」されている方も見受けられた。それに変わって、というわけではないだろうが、「自動車安全運転センター」という団体がSDカードの案内・宣伝をしていた。こちらは運転経歴の証明書の発行や違反得点状況の通知をしてくれるという。無事故の証明により保険料が割引になるなどのメリットがあるようだが、有料。警察ではこの種の証明書は発行されないのだろうか、と釈然としない。

講習会の話というのは「責任」や「注意」、「不注意」といった言葉が心理学でのつかい方と異なるので興味深く聞いている。事故や違反を防ぐためのいろいろな制度(点数制度)など、考えてみるのに面白い例題でもある。自動車の運転や事故の分析には官民とも少数ながら心理学出身者が働いている分野でもある。

前の更新のときに警察署でみかけてちょっと驚いた「血液型と事故の関連データと血液型別運転アドバイス」のチラシは免許センターには置かれていないようだった。


2002/3/20(金)卒業式

午前中に大学院の修了式と午後から学部の卒業式。こんなに暖かな卒業式の日は初めてである。大学院の方は担当教員と大学関係者のみの参席でこぢんまりとした式だった。今年は修士8名。学部の卒業式は学生も多いのでこれよりは時間もかかる。会場の学生席の後ろに「保護者」の方用の席がかなり用意されるようになって、参列される方が非常に多くなっている、というのが最近の変化である。人間科学部のみの時は卒業生すべての名前を呼んだのだが、学部増設とともにこれはもうできなくなった。学科毎に代表学生が卒業証書を受け取るようになった。式のあとで学科専攻毎に個別に卒業証書を渡すようになったが、今年は私の順番だった。

比較的小規模な大学ではあるが、学部が増えるにつれていろいろな変化も見られる。卒業式のあとは例年学生主催の「謝恩会」が開かれていたのだが、今年は学部間の組織化の調整ができなかったのか中止となった。仲間うちのパーティの方が好まれるようになったということだろうか。まあ「恩」の字はともかく、カクテルパーティくらいはあってもよいかなあと。

昨年から記念に合宿やコンパのときの写真をHTMLファイルにしたものをCD-ROMにコピーしてささやかな記念のプレゼントにしている。ことしは昨年度よりもすこし凝って CDのカバージャケットを「ラベルマイティ」のテンプレートを使って作ってみた。卒業生の中にはこのページを読んでくれている学生もいて、すこしは役にたつこともあったことを知る。式のあとゼミの卒業生が花束と葡萄酒を記念にと持参してくれた。卒論の多少の手助け以外にはほとんどなにもできなかったし、そもそもそれは私の仕事だし、ということで恐縮しています。

あらためて、卒業おめでとう。卒業は出発である、というのは前の前の前の学部長の口癖だったが、出発できる若い人は幸いである。

CD-ROM生産工場


2002/3/19(火)最終講義

午後からY先生、y先生の最終講義。私も両先生のお話をきくのは実は初めてであったりする。Y先生のお話は先生の専門分野の歴史をたどるものだった。研究の源泉をたどると、数人の、最終的には一人の偉大な人物にたどり着く、という構成で、本来なら先生のご研究がこの歴史の中で語られたのだろうと思う。しかし、この分野の専門家の聴衆は数名だったので、一般向け、この部分は省略されたが、学問的な歴史と発展、今日の研究の厚みを感ずる非常に印象深い講演だった。

この話のなかでシロートのわたしにもわかったことがある。それは今日のテーマである免疫の現象は日常的な観察のなかでいわば世間知として知られていたこと。それを実験的に、今日の感覚からいうと非常に単純な、粗末といってもよいだろう、装置で明らかにしたこと。パスツールのある時期の研究室のスライドを提示されたが、ヨーロッパの科学的伝統か、文字どおり「デスクトップ実験」の趣だった。また、科学的発見の「空白」期間も今日想像しているよりもはるかに長いことだ。ジェンナーからパスツールに至るには100年もの「空白」があった。

この話をきいて、分野にもよるのであるが設備の不十分なところでいかにして研究をつづけるか、また、「研究者」の退職後の活動のことにも思いを巡らす。先生自身は今日この分野で仕事をするには相当の設備が必要でこちらの大学においでになってからはこの分野での最先端の研究は断念せざるを得なかった、と推察される。

もうひとつは研究の継続と切り替えとういこと。これは矛盾するようだし、結果論でもあるのだが、先生は研究上の方法の見極めが見事だったという印象をうけた。

また、国際的に活躍された方に特有の、というほどその例を知らないのであるが、たまたま私の教わったことのある先生と雰囲気が非常に似ていて、ある意味で貴族的な学者の闘いをかいま見た思いである。

お二人目のy先生のお話は、分野は近いので直球を期待していたら、超スローボールが来た、という印象だった。

もう明日は卒業式だ。


2002/3/17(日)成績

年度末のせいか、新聞では教育関係の話題がいくつか報道されている。大学での成績の開示の問題。来年度から実施(されるところが多い)「絶対評価」の問題。これはやがて大学の入試、とくに推薦入試に影響がおよんでくることになる。

ネット上での成績開示の問題は「個人情報」ということで問題になった。開示の手段はネットである必要はないが、基本的には開示する方向が正しいことだと考えている。

「絶対評価」については、用語自体がまぎらわしい。歴史的には「戦前の絶対評価」(教師準拠)に対するものとして「相対評価」(集団準拠)が行われるようになってきたということだ。今回の改正はこれを「達成度準拠」に替えていきたいということであるようだ。

しかし、一般的には「絶対判断」は教師の恣意的な評価、という意味で受け止められているようで、この点が心配されている。

私も誤解しているところがあるかもしれないが、中学や高校で求められる学習内容についての達成度を「客観的に」判定しているものであればすべてが5であってもなんの問題もない。しかし、学力判定の基準といってもそれはかならずしも「絶対的」なものではありえないから、(ある任意の基準、「指導要領」のようなもの、にたいして相対的に行われる)「達成度評価」と呼ぶのがわかりやすいのではないかと思う。

このややこしさのもとは、評価する内容と方法(「なに」を「どのように」評価しているのか)についての認識が多義的であることによる。それにしても「達成度評価」と呼ぶことができない事情があるとしたら、(「教育」のもついろいろな価値のなかで)いわゆる「知育」評価のみがその後の進路に大きな影響を与えてきた、という点にあるのだろう。

今回の絶対評価では、各単元について「関心・意欲・態度」「思考・判断」「技能・表現」「知識・理解」などの評価を加えなければならない。これを公正・公平におこなえるかどうかが心配されている。この基準は「校長会」で決められるのだそうだ。この調子で、「混乱」がつづくとかえって一元的なものさしがほしくなってきて、中学や高校にも「センター入試」的なものが発生してくるかもしれないなあ。

学力的な判定はある意味では客観的であり、この達成度は第一に尊重されるべき項目ではあるが、教員が知りたいことは、該当学生の評価結果のみではなくて、高校までにどのような教育をうけたのだろうか、それにどのようにとりくんだのだろうか、ということである。


2002/3/14(木)ネイチャー

昨日は某業務Aの最終日。午後から一つ会議。夕刻よりA委員会の納会でひさしぶりに鮨健へ。「無口な」職人肌の「主人」とあいそのよいご婦人の夫婦でやっている店である。私もときどき利用することがあるのだが、某センセイはかなりの頻度でお立ち寄りになるらしい。明日は某業務 Bの最終日で、やっと節目をむかえることができた。

都立大学の市原先生のグループの研究がネイチャーに掲載されたということで今朝の朝日新聞にさっそく紹介記事がでていた。このことはじつは少し前にMセンセイからうかがっていたのであるが、あらためておめでとうございます。

テーマは感覚間(視覚と聴覚)の相互作用に関するものだ。感覚間の相互作用については私も興味があってすこし以前になるが卒論研究(マックガーク効果)で取りくんでくれた学生もあった。ネイチャーにも出せるかもしれないから、新卒研生がんばって、って不純かなあ。自然科学系の心理学の分野ではネイチャーとかサイエンスとかハレ舞台がある。これ以外の領域ではそれぞれの分野のメイジャーな専門雑誌がハレ舞台になっているわけだが、ネイチャーやサイエンスのように広く流通している雑誌は無いような気がする。


2002/3/12(火)オンライン講座

週刊アスキーは最近低調だが、今週はいくつかおもしろい記事があった。「有名大学オンライン講座・徹底ガイド」(ネットで単位認定)という小特集と「リファレンス系サイトを使いこなせ!インターネット情報収集」の二つである。

情報検索サイトについては学生諸君もよくしっていると思っていたが、基本的なサイトをしらない人もなかにはいるようだ。もっとも卒論関係の情報をネット検索だけに頼るというのはそれはそれで問題であるのだが。

オンライン講座の方は、2001年度より大学設置基準が緩和され、インターネットによる遠隔教育によっても単位の認定が可能になったことを受けて、我が国においてもあたらしい動きが出てきている。私はいわゆるネット情報は、講義を理解するための学習支援情報というように考えていたのだが、現実はもっと進んでいる。

やり方は大学によっていろいろあるようだ(この記事では取り上げられている大学個別にプログラムの紹介が行われていて、組織的に紹介されていないので、オンライン講座そのものにプログラムや「講義」スタイルにどのような種類があるのかはつかみにくい)。

「大学設置基準の大綱化」によって通信制の大学・大学院はすべての単位をオンライン講座によって認定可能となり、通常の学部でも60単位程度までオンライン講座でも認定可能というようになっているとのことだ。これは大きな変化であるから、今後は各大学でもオンライン講座をとりいれたり、他大学のオンライン講座を認定することになるのだろう。これによって、学生は所属大学に制約をうけず良い講義を受けることができ、大学では実習やゼミ・研究に時間をさくことができるようになるかもしれない。

ただ、講義はライブで行われる「古い」スタイルの大学を経験しているものにとってはちょっとさびしい気もしないでもない。新たな就学機会となることはまちがいない。まあ、オンライン講座に適した学科目や授業スタイルが淘汰され定着していくことになるのだろう。


2002/3/11(月)証人喚問・音楽ソムリエ

朝方、証人喚問の後半部分を「観戦」。証人喚問といえばなんといっても「ロッキード事件」だ。当時の「今太閤」の巨大な疑獄事件ということで登場したキャラクターのめんめんともども非常に印象にのこっている。証人喚問そのものは、その当時も、なにかものたりない、わりきれない思いを抱いたものだ。今回はこのロッキード事件と較べるとどうしても役者が不足という印象だった。たしかに国会議員にとっては、犯罪捜査は彼らの仕事ではないし、裁判官でもないのだから、「悪人」をやっつける場面を望むことは間違っているのだろう。国会は裁判所ではないとしても、もっと徹底的な公聴会を開いて政治的な判決を「国民」の前に明らかにすることができるような日はくるのだろうか。

松下電器が「ミュージックソムリエ」ソフトウエアを開発したということだ。これは昨年度のK君の卒論テーマだなあ。音楽の印象を構成する要因を求めて、これから逆に「聞きたい音楽」やイメージに合う音楽を探し出すというテーマである。認知心理学、計量心理学、音楽心理学、情報検索などの学際的なテーマで、音楽に限らず、他の感性領域にも同様のテーマが存在している。手法もSD法と(たぶん)因子分析だと推測される。新しい音楽についてどのように情報を更新していくのか、どの程度の顧客満足度が得られるのか興味あるところだ。さいきんはこの種の研究が工学部などでも行われるようになってきている。どんなグループが開発したのだろうか。

http://www.zdnet.co.jp/news/0203/11/pana_music.html


2002/3/10(日)ルール

ここ一週間でやっと某業務が一段落ついたというところ。この業務も今週後半でひと区切りだ。

ひさしぶりにTBSの「噂の現場」を見る。きょうは茨城県・波崎(はさき)町の話題だった。ここは都内近郊でサッカーグランドのある民宿が多いことで有名なところだ。しかも芝生の張られたグラウンドが多い、ということで人気がある。番組の中でも都内の大学や遠くは九州の大学の同好会や体育会の合宿でにぎわっている様子が紹介されていた。

「町おこし」にも成功しているように思えるのだが、実はこれが「農地転用」に関わる法律に触れて「違法状態」になっている、というのが今日のテーマだった。町長は実際にこの件で「書類送検」もされている。

「農地」については国や自治体から各種の「保護」や「補助」が行われているために、勝手に転用できないことになっている。しかし、サッカー場周辺の「保護されている農地」は季節のせいもありかなり荒れはてているようにも見える。グラウンドだけが冬芝で青々としている。また各種補助事業による改良工事のおかげで、ひろいサッカーグラウンドにぴったりの条件が整ったという点も皮肉なことではある。「減反政策」により遊休地にしておくことで補助金がでる、というような矛盾も存在している。

もともとこのグラウンドは県のスポーツ振興行政によってあるサッカー大会を誘致したことがきっかけで、「特例」として農地の転用を「一時的に」認めたことが事の発端のようだ。また、「問題」は農地の所有者が旅館やペンションにグラウンドの賃貸契約をむすんでいて農地転用して利益を得ているという点にあるらしい。しかし、町全体は「サッカーの町・波崎」ということから大きな利益を受けていることも事実だろうし、「町おこし」としては成功しているのではないかと思う。

たしかに食料安保上、ただちに農地に復旧できる、という条件は必要なものかもしれない。農地をグラウンドに転用するのはそれほど問題ないようにも思えるが、ゴルフ場のようにかえって環境を破壊し、汚染することにもなりかねず、簡単には結論づけることはできない。(シロート的にはこのような制約をつけて自治体が一時的転用を認める、ということが問題の解決としては良いように思うのだが)行政的には特例を認めてしまうと歯止めがきかなくなる、というおそれもあるのだろう。

その一方で、日本の農業が自立できる政策がとられているわけではない。むしろ「保護」が「自立」を妨げている状態であるとも言える(もちろんサーカーブームがいつまでつづくのか、極端な食料不足の時代がやってくるのかは誰も予想できることではないのだが)。ルールは公平に定められべきものだが、全国一律に定められる、というところに問題があるのだろう。

食料と教育は同列には論ずることはできないが、「人はパンのみで生きるものではない」ことも確かなことなのだ。大学にも類似の問題があるように思うなあ、などと考えながら


2002/3/3(日)休日

午前中からオイ一号とオイ二号が遊びにやってきた。ちょっと風邪気味で食欲ないようすで残念だったが(今日の昼は、カツオをイタリア料理風に焼いたものと野菜の付け合わせ、私の郷里の料理のいわしのつみれのみそ汁にした、それとオイ1号の気に入っている「五穀米ごはん」を用意したが、子供むきの味付けではなかったのかもしれない)、昼寝をしたあとでおやつはたっぷりたべていた様子で元気回復。

オイ1号は髪をそめるヘナの干し草に似たにおいを「いいにおい」といっていた。干し草のにおいなどあまり嗅いだことはないと思うのだが、公園や郊外にでたときの香りに共通するものがあるのだろう。


2002/3/2(土)撮影会の風景

今日も午前中某業務。いつもはすいている列車も観梅の季節のせいか平日以上の混雑である。空き時間に中庭を散歩したり。満開の梅の木の下で大学パンフレットの写真を撮影していた。午後から日差しもでて、撮影日和りだ。春の日差しと銀レフがまぶしい。

やはり空き時間にSセンセイと雑談。年輩のセンセイだが奥様が「らくらくメール」というサービスを使っておられるのだが、それがどうも不調で接続できなくなってしまった、とのことだ。センセイご自身が使っておられるアウトルックでは大丈夫とのことなので、たぶん設定が「なにかのひょうしに」かわってしまったのだろう。この種の無用なトラブルはいつになったらなくなるのだろうかと思う。むしろ年齢が高い人のほうがいろいろなコミュニケーション手段が必要なのだが、現状はこのあたりにはまだ配慮がたりない。

水戸駅で短時間だがよく列車の時間待ちで駅通路のスターバックスに寄るのだが、最近は高校生に占拠されている。スターバックスの最大の貢献は店内禁煙にしたところであると思う。


2002/3/1(金)!広告!メール

このところiModeの「!広告!」メールが増加してきた。めんどくさいのでほっておいたら、多い日には20通以上にものぼるようになってきた。アドレス変更を何度かしているのだが、効果は一時的だ。アドレスの変更しか対処のしかたがない、というのはなさけない。

!広告!という表示の「義務」化によって「しても良い」というお墨付きをあたえたようなものだ。これを考えた担当者って誰なんだろう?

メールを規制することは不可能なのだから、対処の方法としては次の二つでよいのではないかと思う。(1)メールの料金は発信者が負担すること。郵便も電話もそうなっているではないか。(2)端末側で未読メールの削除が簡単にできること。私の使っている携帯電話では未読メールの一括削除ができないので煩わしいのである。

どちらもすぐに対応できるのではないかと思うが、そうしないのは広告メールに便乗して商売していることになるのではないかと(公正取引委員会様)。「ドコモは公正な競争で勝った」といっていたドコモの会長だか社長は莫大な広告メールのおかげで現在の通信費が維持されているとでも強弁しかねないなあ。

今日は進級判定や卒業判定の会議が三つ。帰宅は夕刻になったが、やわらかな湿り気の空気のなかに満開になった中庭の梅の香りがすばらしい。万葉の人であれば、世俗と春の宵を際だたせた歌を読むことができるような日だったなあ。



「空想科学」の記憶 先週 ■index_「空想科学」