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2002/9/11(水)「こころのノート」

午後から臨時の会議。昨年の「テロ」から早くも一年。昨年はちょうど台風のため合宿日程を一日短縮したのだったなあ。いろいろ新しい映像がでてくる。テレビ映像といえば911ではないのだが、サウジアラビアの王室のバカンスというのが強く印象に残っている。このような貧富の差(米国内よりもむしろ大きいのではないかと思う)はアラブ諸国内では「問題」にならないものなのだろうか。

雑誌「創」と「世界」に「心のノート」についての記事が目に付いた。「創」の長岡義幸氏の記事から、この「副読本」の制作段階からどうも不明朗なものが感じられる。「ユング」と「道徳」と「国家」が結びつく、というと、どうしても連想してしまうことがある。野田氏については良く知らないのだが、「利用」されようとしている「心理学」に対する批判はまっとうなものだと思う。(野田正彰氏 「心の教育」が学校を押し潰す」世界、10月号)。それにしても「我が国の伝統文化」と「道徳教育」と「カウンセリング」がなぜ結びつくのだろうか。

心理学の入門書を意図しているのではないと思うが、「こころ」について野田氏が指摘されている、「こころが実体化されて述べられていて、こころの定義はなく、こころを物とみなす比喩であふれている」のは心理学の入門教育としては不適切なものではないかと思う。


2002/9/10(火)林知己夫氏

8月のはじめにお亡くなりになったことはA先生から聞いていたのだが、「数量化理論」でご高名だった林知己夫氏の追悼の記事を読んだ(朝日新聞2002/9/9夕刊「惜別」)。学会などでは何度か講演をお聞きしたことはあるが、直接お目にかかかったことはなかった。もうだいぶ「昔」に林氏が審査員をされていた民間の研究費に応募したことがあって、研究計画書に対して好意的なコメントをいただいた、というのが唯一の接点であった。研究の内容はある意味では統計的手法に反する内容であったにもかかわらず。

統計的方法と心理学とは「深いような浅いような」関係にある。現在では統計的手法は「単なる技法」と考えられがちであるが、ちょっと古い話になってしまったが、統計学や心理学での数量化を巡って「数量化論争」が行われたのである。統計的方法は主にデータの記述や圧縮を主目的としていて、(もちろん心理学においてもデータの記述や圧縮は基本的な統計の利用であるが、)心理学での数量化は「心理学的プロセス」を表現するべきものである、というところが一番違うところだったように思う。

この関係でネットを見ていたら、鈴木督久氏という方のサイト(「牛込日記」2002.4.30下駄と小泉)でマスコミで発表される「支持率」の話題を興味深く読んだ。「今井正俊(2002)内閣支持率を押し上げた低回収率, よろん ,第89号」を引用されて、調査の低回収率を問題にされている。内閣支持率は田中内閣(1972)では60%、細川内閣(1993)では70%、小泉内閣(2001)では80%、というのが発表されたものだが、調査票の回収率は、それぞれ80%、70%、60%と年々低下している。この非回答者(「調査拒否率」)をどのように考えるかで、内閣支持率は大幅に変わってくる、というものである。拒否がランダムに生ずるのであれば問題はないのであるが、非回答者には「支持しない」割合が高い可能性もある。最悪のばあいには上の三内閣で支持率はそれぞれ48%、49%、48%、と大差ない、という可能性さえある、ということだ。

(この割合は極端な場合であるが、マスコミ発表では支持率しか発表されない。いまや「無党派」層の方が多いのであるから、拒否率を公表することが必要だろう。それとともに、調査拒否率について解釈可能な方法を考えなければならない)

同じく鈴木氏の「牛込日記」で追悼文を読んだ。林氏の著作「データの科学」のあとがきから「人は自分で信じないものに、自分の情熱を傾けることはできない」という言葉が引用されていた。林氏が最後に投稿されたという論文(いま調査者が心掛けること)では調査の基本にたってネット調査を批判し、いいかげんな調査のもつ危険性(調査の恣意的利用)を強調されている。

今回の長野県知事選について、昨日の新聞(東京新聞2002/9/10、コラム「言いたい放談」)で、石井彰氏(放送作家)は「民意に負けた大政党」というコラムの中で、「当確」が開票とほぼ同時にでたときの「民放局幹部の口から、深いため息が漏れた」情景を見て、「地元マスコミは田中候補の圧勝を予想できなかった」と書いている。このコラムは「大政党」の敗北が主題なのだが、「地元マスコミ」も同様の誤りを犯しているように思う。

しかし、地元新聞のいくつかのサイトを読んだ限りでは今回は「田中氏優勢」の報道が多かったように感じているので、勝敗そのものではなく、あれほどの得票差になることを(この地元テレビ?は)予想できなかった、という意味なのだろうか。


2002/9/2(月)デモクラシー

今年もゼミ合宿が近づいてきた。先月末までにほぼ見学合宿のスケジュールが固まってきた。ここ数年のゼミ合宿では広い意味で心理学に関係している仕事をもつ企業やその研究所を見学している。見学先は数カ所になるので、日程の調整がもっとも気を使うところである。ことしは卒業生のK君の紹介で(心強くも案内役もひきうけてくれた)水戸の近場の勝田にある安全運転中央研修センターからスタートして、見学後東京方面へ移動し、宿は昨年と同様に代々木にある国立オリンピック記念青少年センターに一泊。二日目は五反田の資生堂のビューティ・サイエンス中央研究所(ここは学生の希望が強く、昨年も訪問させていただいた)、午後から西麻布にある日本色彩研究所を予定している。日本色彩研究所ははじめての見学だが、いきなりメールでお願いしたところG大学の心理学の出身であるNさんに親切に対応していただいている。

長野知事選は(もちろん私は有権者ではないのだが)いくつかの点で非常に興味深いものだった。まずは最初の選挙のときから感じたことだが、ネット情報には非常に的確なものがあったということ。最初の知事選のときにはマスコミ報道から田中氏の勝利を読みとることはできなかったと思う。当時は「日記エンジン」のころだったと思うが、良く知られていた長野在住の方のサイトを読んでいるとマスコミ報道とはまったく異なる情勢がかかれていて、結果もその通りになった。今回はさすがにマスコミも一方的な「垂れ流し」記事は少なかったようで、一貫して田中氏優勢を伝えていた。ただしなにかの「規制」のためかその表現のしかたはあいまいなものだった。

知事選情報はもっぱら長野県の地方新聞のサイトと「K嬢の長野県政ウオッチング日記」http://www2.diary.ne.jp/user/95992 を楽しませてもらった。このサイトは親田中だと思うが、客観的で公平な姿勢はすばらしいものだ。反田中サイトもあったようだが、そちらと比較はしていない。

もうひとつは田中氏の時間をかけた「演説」である。内容をわかりやすく、印象的なフレーズでまとめられた田中氏の演説は聞いていておもしろく、批判的・挑戦的でもあって、他の候補の演説を圧倒していたと思う。わかりやすいことばでしっかり説明しているところがいわゆるサウンド・バイト的な演説と異なるところだと思う。

議会は「対話を」といっているわけだが、議会ですばらしい議論が行われることを期待している。それこそが田中氏の望みでもあろうし、長野県民の「民意」ではないかと思う。だから、やめるといっている議員はせいぜい丸刈り程度にしておいて、議会で議論をする義務があるのではないかと思う。(と、書いたのだが、やめるのならやはり「説明責任」を果たした上でというべきだろう。)


 

臨光謝謝 このサイトの内容は私の個人的な意見や記録で、大学の公式見解ではありません。

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