名称未設定

2003/1/31(金)結婚式

近く卒業生のS君の結婚式がある。ちょうど入試関係の仕事があるために出席できそうもない。それでなにかお祝いをしようと考えている。S君はちかごろ珍しいワイルドな印象のなかなかの好漢であるから、なるべくこれと対照的な贈り物でがよいだろうということで、やはり卒業生でドイツでフラワーアレンジメント(?)のマイスターのところで修行してきたOさんに相談しているところ。Oさんはさすがに詳しくて、結婚式の儀式について知らなかったことをいろいろ教えてもらった。こんどのアイデアは営業の役にたたないかなあ、っていまのところ意味不明。

午前中、講義要項をメールで送信。大学広報誌の原稿校正も時間を見てやっているが、繰り返しやくどいところがあって、訂正が多くなってしまい申し訳ありませぬ。

午後から歯科医。今日で一応完了したのだが、まだなんか自分の歯ではないような感じ。ちょうど小学生の女の子が一緒に治療をうけていたのだが、なだめたりあやしたりときには多少強く言ったりはげましたり、と歯医者の先生も大変だ。こちらも泣くわけにはいかないのだが、子供のころを思い出した。昔にくらべると治療技術は格段に進歩しているように感じた。たとえば、麻酔の注射も昔ほど痛くないようだ。単に加齢のせいかもしれないのだが。子供にとってはやはり歯医者はこわいものだろうなあ。

2003/1/29(水)送別会

心理学準備室で実験実習や研究室の運営を担当してくれていたOさんが今年で任期を迎える。年度末にはちょっとまだ早いが学生主催の送別会に出席した。この仕事は実験実習の準備やレポートの出欠管理などこまごまとした事務や授業の準備や補助、学生との連絡など多岐にわたるものなのだが、ちょうど慣れてきたころに任期のため交代しなければならないのである。わたしも実験実習のほかにもPCのセットや印刷物の用意など授業準備でもずいぶんお世話になった。また、学生とのいろいろな連絡もなるべくOさんを通して行うようにした。教員と学生の間にちょうど中間的で中立的な第三者を介することができるのが良い点であると思う。

Oさんの任期はちょうどプレゼンテーション形式の授業を始めた時期と重なるので、Oさんといろいろなトラブルの対策をした思い出がある。その後新しい液晶プロジェクターやPCが教室に整備されるようになってトラブルはほとんどなくなってきたが、最初の頃は授業のたびにOさんの手を煩わせていたように思う。プレゼンテーションといえば、送別会ではノートPCとプロジェクターを会場に持ち込んで結婚式でよくあるようなOさんの「おいたち」のスライドショーをやって会場をわかせていた。パワーポイントのこんな使い方も楽しいものだ。(Mac用の「キイノート」は画面デザインがきれいで期待しているのだが、パワーポイントとの併用は生活を複雑にしてしまうだけかも。)

Oさんの同級生のSさんなど何人か来ていたので他の人たちの様子を聞いた。Sさんは情報センター勤務、Hさんは一浪の後目標を果たして言語聴覚士養成校へ進学して来年修了予定、Wさんは他大学の大学院を経由して現在は医療関係のソーシャルワーカーとして勤務、Kさんは昨年研究科を修了して社会人1年目、と学内外で多彩な活躍をしている人材豊富な学年だ。実験実習のレポートに非常に熱心にとりくんでいたことをよく覚えている。優れたレポートはコピーして準備室に保存してあるのだが、この学年のものは特に多く残されている。

昼休みに教室会議。書類書きをして、午後から会議なんと四つ。このうち二つは時間が重なってしまい一方しか出席できず。

2003/1/28(火)卒論発表会

昨日は午前中から卒論発表会。今年は半数ほどの発表があったがそれでも夕方6時ちかくまでかかる。できるだけ多くの学生に発表してほしいのだが、そろそろ時間の限界かもしれない。

気づいた点をメモしておくと、

  1. 発表形式としてはパワーポイントスタイルの発表が数件あった。OHCを使用する発表がもっとも多かったが、卒論用の資料をそのままコピーしてつかっていた人が多かった。しかし、サイズがバラバラのため拡大や縮小にともなう無駄時間がかなりかかっていた。やはり必要な表やグラフは同じ形式・サイズで発表用に作り直すのがよい。
  2. データ処理に関しては、統計処理とその解釈に誤りが多かった。なかには数値の意味を理解していない例もあり、このためにデータが示唆するところと反対の結論をくだしているケースもあった。統計処理のまえに元のデータをよく見ればこのような勘違いはしないはずである。
  3. また、データの分類やカテゴリー分けが恣意的に行われている例もあった(グループの人数をそろえるために、といった理由で)
  4. 以上はよくある問題で、修正は比較的容易であるが、もっと根本的な問題としては、 背景理論や概念が正しく理解されていない例や無理に特定の実験パラダイムに修めようとしている例があった。
  5. 実験のデザインについては、独立変数として根拠をしめさずに恣意的に変数を選択している例や、
  6. 統制条件の不備 がある例が見られた。
  7. 結果の解釈においては、 変数間の相関関係と「因果関係」の混同が多く見られた。また、 不十分な説明・説明になっていない説明(性差、文化差、経験差、無意識、個人差などで説明する傾向)もあいかわらずである。
  8. これらは実験や調査を計画するときに研究プロトコールを作成していないことから、チェックが十分にできていないのだと思う。教員に相談する際にも計画の全貌がわかるように簡潔なプロトコールを作ってあれば、このような問題点は発見されやすくなるものと思われる。
  9. 一方、内容・形式とも非常に優れた発表もいくつかあった。特にKさんの発表などは修士論文の発表会でも十分通用するものであったと思う。ともあれ、卒論の評価は結果がすべてではない。結果はやってみなければわからないわけだから、これ自体の良し悪しで評価されることはない。その結果をどのように(以上の問題点を含めて)解釈したか、卒論研究全般にわたってどのようにとりくんだのか、という点を評価したいものと思う。
  10. 問題点ばかり指摘したが、発表者の多くは、それぞれ努力をし、自分なりにテーマを考え、追求しようとしたことについては健闘を称えたい。
2003/1/20(月)センター試験・実験実習発表会

午後から実験実習の発表会があった。2年生については発表形式はおおきな問題は感じられなかったものの、内容の理解についてはすこし心配なところが多々感じられた。レポートについては個人間の差が例年よりも大きいように感じられた。3年生の発表はこのところ低調だったが、今回はよく準備されていて内容の理解の点でも努力の跡をうかがうことができてよかったと思う。

ことしからセンター試験に参加することになって、初めて監督業務。ことしはなにしろはじめてだったので入試体制もかなり入念に準備をすすめた模様で無事終了した。個人的にも二日間つづけて試験監督をしたのは初めての経験で、とにかく疲れた。特に初日の疲労感は大きかった。二日目の午前中はむしろ快調だったが、午後は疲労蓄積、夕方回復という感じだった。次回はまた制度が変わるのかもしれないが、学内体制についても再考すべき点も多い。最後の科目が終了して試験本部に回答など持ち帰ると拍手で迎えられた。以後私も帰ってくる先生方を拍手で迎え、せめてものねぎらい。いつもの入試では見られない光景だった。簡単な打ち上げを早めに抜けてフレッシュひたち号にのった。一緒にのりあわせたK先生、H先生としばし歓談できたのはよかったのだが、なんと人身事故のため1時間40分ほども遅れた。最後に決定的なノックアウト・パンチであった。

センター試験では印象にのこったことがいくつかあった。まずは受験生の態度が非常に良いことにおどろいた。試験が終わったあとで教室にはゴミはなどがまったくと言ってよいほど無かったし、なかには、机の上の消しゴムのかすまで丁寧に集めてきちんと捨てていた学生もあって本当に関心した。この消しゴムのかすをかたづける、というのは「就職マニュアル」では必須項目らしいが、よいしつけをうけているなあと感じた。また、全科目を受験した学生は1/3ほどだったと思うが、二日間の間よく集中して受験していたことにも感銘をうけた。その一方でもし入試が首尾良く運ばなかったばあい、この努力や熱心さの行き場のことを思うとやりきれない思いがした。このような愚行というべきかもしれない受験体制のわりをくわずうまくきりぬけてほしいものだと思う。

この大学が創立されて20年になる。これに関連して、とっくに締め切りをすぎていた学園誌の原稿をなんとか書き終えて担当のKさんにやっとのことでメール。

2003/1/16(木)整理整頓

午前中、知覚心理学の定期試験。こちらも教室変更。今回は一列あけて座ることが出来て、ちょうどよい教室だった。以前は短期大学でつかっていた校舎を改装してきれいになっていた。OHCとプロジェクターも設備されていた。PCは持ち込めばよいようだ。

試験の間に居室(個人研究室)の床カーペットの掃除をお願いした。かなりよごれていたのだが、乱雑なのでなかなか頼めずにいたものだ。帰ってみて関心したのは同じ物がおいてあるにもかかわらずきちんと整理された感じがしたことだ。なにがちがうのかと思ってよく見たところ、机や壁にたいして物がきちんと平行に並べ直してあった。段ボール箱やイスなどもすべてこの原則で並べ直してあって、整頓されていた。どうもこれが整理整頓のこつらしい。これからは気をつけようと思う。

今日も学期末で過密スケジュール。昼休みにはいそぎの会議、そのあと最後の修士論文の口頭試問をした。おわって、最後のゼミ(3年生)。大急ぎで予定テキストを終える。資生堂の研究所が編集した「化粧の心理学」という本である。研究論文と一般的な解説との中間的な内容となっていて、実験や調査の詳細は省いてあるのだが、化粧をめぐってさまざまな研究が紹介されている。心理学的な研究も広く基礎・応用両方の観点から行われたものが含まれているので後期のテキストに選択した。たしかに企業は利益を追求するのがその本質なのであろうが、その目的を果たすためには人間についてよく理解し、動機はなんであれ、結局人間の幸せに関わるものでなければ長くは続かない、というようなこと感じた本でもあった。

2003/1/15(水)定期試験・口頭試問

火曜日は学部研究法の定期試験。試験のために教室変更してもらった。しかし、普段の教室よりかえって狭くぜんぜん試験対策にならなかった。ノートと配布資料は持ち込み可なのだが、これでは隣の答案など丸見えだなあ。以前試験監督のお手伝いをしたK先生の試験では着席した列毎に異なる問題を指定しておられたことを思い出した。そのときはそこまでやるか、とも思ったが教室によっては考えなければならないかもしれない。また、某アメリカ人先生の試験では荷物類はすべて教室の前に移動させて、筆記用具のみ持たせて着席させた例もあって、こちらもそこまでやるか、と思ったものだ。試験は厳粛なものではあるのだが、試験をまとめて実施しなければいけないことからいろいろな問題が生ずるのであろうから、学期全般にわたる評価法を考えるべきなのだろう。

今週は定期試験のほかに散発的に修士論文の「口頭試問」をしている。分野も多岐にわたるので、専門外の論文を読まなければならないケースも多い。このことで、査読者のコメントについて、毎年違和感を感じていることがある。査読評価にときどき「専門用語を頻発し、難解である」という査読者のコメントがつくことがある。修士論文であれば専門用語が頻発するのは当然のことである。しかし、本学のような「学際」的な研究科では専門外の人にもわかりやすい説明をするように配慮することも必要なことである。それよりも、専門用語を誤解してつかっていたり、あやまった解釈をしているケースがあることが気になるところだ。このあたりが論旨のわかりにくさと重なって先のようなコメントとして出てくるのであろう。

先週とおなじく「論文の教室」(戸田山和久著、NHKブックス)を参考文献として推薦しておきます。この本を読んで、論文書きって一種の技術でゲームみたいに手順をふんでいけば誰でも一定のものが書けるようになるかもしれない、という印象(錯覚?)をもったが、なぜ「書かなければならないのか」については当然かもしれないが答えはない。これについては、別の本をよんでいたら(田中敏著「実践・心理データ解析」新曜社)「まったく問題意識がわかず、何を研究していいのかわからないのですが、どうしたらいいですか」という質問に「問題がなければ研究しなくていいのです」という回答とともに、こんなとき「職業研究者」はどうするか、という例がいくつかあげてあった。これは正直な回答で、問題意識についても「論文の書き方」の技能の側面と同じように手順をふんでいけばだれでも一定のものを書くことができるようになる、ということを暗に示している。だけど、ここらあたりが「職業研究者」ばかりでなく「職業学生」にとっても一番大きな疑問なんだろうと思う。

今週末は今年から参加することになった「センター試験」があるし、と、まあ学期末でこんな忙しい時期に風邪である。

2003/1/12(日)「日記ネタ」 学事日程と日本語表記

なぜもう最終講義なのか?!というのは、秋セメスター(秋学期)は今年から祝日法対策のため夏休みが短縮されて早く秋セメスターを開始したためです。私立大学ではこれから入試業務が込み合ってくるため、学期をうしろに延長する余裕はないので、このような日程になっている模様です。教員談話室では、このような話題にたいして、いつから大学はこんなに杓子定規になってしまったのかという「古き良きゆとり派」と「アメリカ出羽の守」派にわかれる。ここらあたりの経緯はちょっとおおげさかかもしれないが教育社会学的なテーマなんではないかなあとも考えている。

日本語表記では、たとえば、 「わたしのようなとしごろではかなもじたいぷらいたーがいわゆるひとつのあこがれで」のような例文はたしかに読みにくい。ただ、よみにくい理由として一つには習熟(単に慣れていない)の問題がある。このほかに「同音異義語」の問題がある。

梅棹先生の「知的生産の技術」(岩波新書)では「わかちがき」を提案されていたわけですが、たしかに、ひらかなとカタカナ(とくに漢字を表音的にもちいている場合には)で表記するとかなり読みやすくなるようです。わたしも学生の時にレポートでこの方式を先生方におしつけた経験があった。さいわい不合格にはならなかったけれど。現在はワープロが普及して漢字かなまじり派に圧倒的に有利な状況になっている。

しかし、機械翻訳?分野では逆にこのような研究もされているようだ。日本語形態素解析プログラム「茶筅」(ちゃせん)では「わかちがき」に翻訳してくれる(googleで最初にヒットしたサイト)。日本語のしくみを意識するには良い練習になるのではないかとも思う。下がその変換例。同音異義語の問題があるのだが、これについては漢字表記をするから同音異義語が増える、という面もある。ただ、この表記方式をとると外来語については翻訳されないでそのまま取り入れるということになってしまうかもしれない。

わたし の よう な と し ごろ で は かな も じたい ぷ ら い た ー が いわゆる ひとつ の あこがれ で

これにカタカナ表記をくわえてみると、

わたし の よう な とし ごろ で は かなもじ タイプライター が いわゆる ひとつ の あこがれ で

この本のスタイルを徹底することができなかったので、口にだして言うのはちょっときはずかしくなってしまったけれど、その後ワープロやパソコンに興味をもつようになったのはこの本の影響が非常に大きかったと思う。

2003/1/9(木)

午前中の学部・知覚心理学も今日で終了。今年は聴覚関係の話を最期に回した関係で回数が少なくなってしまった。今日は触覚・温度感覚の話のあと感覚間の相互作用の話をまとめとした。触覚の実験は普段はあまり注意をはらうことがないので意外性のある話題である。私自身もこのような細部におもしろい話題があることに気がつくようになったのはむしろ最近のことである。

ゼミはテキスト論文の発表演習。演習では本文をそのまま読むことはそろそろ卒業しよう。最初に卒論のおおまかな流れを説明した。研究プロトコール(秋学期のレポート課題)から実験・調査の実施、論文書き、最後にアブストラクトとサマリーで完成する。今日はサマリーの例を昨年度の卒論の中から二つえらんで例として示した。良いサマリーはもちろん良い本文あってのことで、短い文章にはむしろ本体の内容がよく反映されるということを実感できただろうか。

つづいて卒論の時間でもサマリーとアブストラクトの話。こちらも同じ実例を模範として説明した。授業の中でおりにふれて卒論研究の紹介をするので、わかりやすいサマリーをつくっておいてくれると非常に助かるのです。卒論評価であるが、3名に卒論の追加執筆を求めることにした。

新本部棟前の小さな蓮池に氷が張っていた。赤くみえるのは氷の下を泳いでいる出目金?です。寒そうな写真でどうも。

2003/1/7(火)講義再開・発光ダイオード信号機

学部・研究法はもっとも単純な要因配置計画の概念的な説明で講義終了。取り上げるべき話題をいくつか残してしまったが、いずれにしても講義ですべてを話すこともできないのだし、後は必要に応じて各自で吸収できるだけの基本的な考え方を話したつもりなのでこの点が理解できていれば良しである。大学院・方法論も同じ話題。実際の論文ではもうすこし複雑な実験デザインがとられているが基本的な考え方は了解できると思う。実際的には統計的な仮説の検定としては分散分析とノンパラメトリックな方法を中心にしてもよいかなあ、と考えている。

昨日の東京新聞(夕刊)に「地球に優しい信号機:都内みんなで渡ろう」「10年で全部、電球から発光ダイオードに、都方針 消費電力6分の1に」「色覚障害者は『見にくい』不安も」という記事があった。われわれの色覚にはいろいろなタイプがあることから、信号機の色はできるだけ多数の人にもっとも識別しやすい色が色彩心理学の知識をもとにして決められている。記事の写真では判断がつかないが、あるタイプの色覚型の人には識別しにくい色になってしまう可能性もある。

「LED信号はみにくいという指摘」があったので、警察庁は外郭団体に実験を依頼して見やすさには差がない、という報告を得ているとのことであるが、どのような調査なのかは記事からは不明である。記事写真では小型のLEDを並べて現状の円形電球と同じ形状にデザインされた信号機が掲載されている。小さいLEDを集積させているのであればなにか文字か図形パタンを定めておけばもっとわかりやすくなるだろうと思う。いくつかの県で個別にLED化が推進されているということだが、なんらかの約束を決めておかないと、地域によってバラバラといった問題も生じるのではないか。

都の担当者の「色覚障害の人の問題は気づかなかった。いまのところ問題を指摘する声はきていない」とのことだが、これは公務員としてはおそまつな発言だし、記事の見出し文句もなんだかなあ。

2003/1/6(月)卒論・「論文の教室」

今日は卒論の提出日。ゼミ関係では数名で卒論提出が危ぶまれたが、全員が提出した。パラパラみたところでは数名については追加が必要だなあ。それ以外は問題なさそうでむしろよく出来ているようだ。

卒論提出のあとになってしまったが、

戸田山和久氏(2002)「論文の教室:レポート書きから卒論まで」NHKブックス954(1120円なり)

はすごくおもしろいし「ためになる」本であると思う。来年以降はこの本を紹介しておこうと思う。(よけいなことかもしれないが就職試験の小論文?対策にも適切と思う。)この本は書く立場にある学生向けのものだが、学生の書いたレポートや論文を読む立場にある者の言いたいことがそれこそピンポイントに書いてあって、よくぞ言ってくれた、というところが多いし、また、とても「ためになる」。この種の本を読んでもあまり書けるようになる気がしないのだが、この本は自分にも書けるかもしれない、という気にさせてくれる魅力がある(青い鳥かもしれないが)。文体はどことなく「成長するチップス先生」口調で軽やかでしかも的確だ。戸田山氏は名大所属ということなのであの本のライターなのかもしれない。名大の先生方はみんなチップス先生口調なのだろうか。だとしたら「おそるべし」である。


臨光謝謝 このサイトの内容は私の個人的な意見や記録で、大学の公式見解ではありません。