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2003/2/28(金)Kacis プロノート

「Kacisプロノート」の無償バージョンアップ版が届いていた。Kasis publisherとほとんど変わらないがいろいろ改良が加えられている。期待していたのはHTML形式のファイル書き出しができるようになったことだ。プロノートでは左のフレームに目次、右のフレームにそれに対応する本文という画面形式になっている。この形式をほぼ保ってHTMLファイルに変換してくれるだけなので、他のソフトでもできることなのであるが、アウトライナーと結びついているのでなかなか便利である。まだつかったことはないが、XML形式での出力もできるのでデータベース作成にも利用できるかもしれない。新しいバージョンではマニュアルも前よりは詳しく書き直されている。

この春から学内の「情報化」にかんする委員になったので、さっそくこれを活用してみようと考えている。しかし、KacisBook(電子本)形式では専用のリーダーが必要なので、HTMLがやはり無難かなあとも思う。それにしても委員諸氏からのメールではword文書、パワーポイント文書、アクロバット形式といろいろ来るもんだ。これ以上ファイル形式を混乱させるわけにもいかないし、また、ワード文書などは送らないでほしいのであるが「書式」が崩れると読みにくいものもあるというジレンマ状態なのだろう。メールでサイトを指定して回覧する方式に変更してくれんかなあ。

ここ数日入試業務。体育館では付属高校の卒業式のリハーサル?をやっていた。中庭の梅はほぼ満開になっている。上品な香りを楽しむことができる。新本部等付近の紅梅は二分咲き程度、白梅はまだつぼみ状態だった。スナップ写真をとったのだが、広重のようにはいかない(って当然か)。

 

2003/2/25(火)類語辞典・校閲/推敲ソフト

先日とりあげたKacis Publisherは新しく「Kacis プロノート」に改訂された。今回は無償でバージョンアップできるようだ。あたらしい機能としてはHTML、XML文書への書き出しがサポートされるようになっている。HTML文書で書き出せるのは便利につかえそうだ。パワーポイントでは文書ファイルの掲示には向かないのである程度まとまった文書情報を見やすい形で掲示することができる。まあこれは他のソフトでもできることではあるのだが。ただし「著作権保護機能」はKacis Book形式のみのようだ。

いまさらではあるが、ハードディスクにインストールしてつかう辞書の便利さにやっと気がついて、今日は「デジタル類語辞典2003シソーラス+校閲/推敲支援システム」ジャングル社(言語工学研究所開発)というのをインストールしてみた(こちらはwindows版のみ)。類語辞典は「EPWING版 類義語使い分け辞典」というのをインストールしているが、ことばの解説は丁寧だが、気に入ったことばをさがしにくいように感じている。「デジタル類語辞典」の方はいろいろな観点からみた類似語を提示してくれるのでことばをさがすには適している。ただし、言葉の意味やつかいかたについては他の辞書を参照することが必要だ。表記については新聞の表記の基準にしたがって表示してくれる(新聞表記の基準に会わない場合にはそのエラーのレベルが色で表示されうようになっている。共同通信記者ハンドブックに準拠しているとのことだ。)

「校閲/推敲支援システム」の方はやはり新聞表記の基準に合わないところをカラーで表示してくれるものである。「差別語」、簡単な文法事項のチェックと「置き換え候補」を提示してくれる。「推敲」の方はマウスで言葉をクリックすると類似語が表示されるものである。これは「形態素解析」が行われているということだが、一度に「校閲」できるのはテキストファイル形式で1200文字まで、という制約があって、この点がちょっと面倒である(プロフェッショナル版は字数の制約はないのだが、価格が高くてちょっと手をだせない)。クリップボード経由かワープロソフトに組み込んでつかえるようなればもっと便利になるかもしれない。このような機能はやはりATOKのようなソフトに吸収されていくのだろうと思う。この種の「支援ソフト」っていうのはなんだか文章をとてもうまく書くことができるような気にさせてくれるので、ついついいろいろ買ってしまうのだが、その効果のほどは???

2003/2/20(木)電子出版ソフト

今日は大学院の入試があった。学部と違い受験者はごく少数なのだが、面接時間は長いのでかなり時間がかかる。待ち時間にKacis Publisher/Writerという電子出版用のソフトウエアを試してみた。 アウトライナー形式のエディターは動作が軽く使いやすい。フレーム形式で左フレームにアウトラインの項目(ヘッダー)、右のフレームに対応する本文部分(ボディ)が表示されるようになっている。項目を操作すれば本文もそれに応じて移動する。このソフトの特徴は本文のコピーに段階的に制限を設定できることである(「著作権保護機能」)。たとえば、全面的にコピーを制限することもできるし、引用などでコピーして再利用する場合には自動的に書誌事項が付加されるように設定することもできる。

この分野ではアクロバットが標準だがどうも動作が重く、使いかってはいまいちだと感じている。電子本形式として出力されるKacis Bookのファイル形式が独自規格であることはマイナス要因かもしれないが、使いやすいアウトライナーとしても手軽な電子出版ソフトとしても十分価値があるものと思う。一太郎やワードの書類はインポートできるし、一般的なファイルではリッチ・テキスト形式で書き出せるので不都合はない。Kacis Writer Freeというのが無料で配布されている(「著作権保護機能」はないようだ)。またマックとウインドウズのハイブリッド版であることも便利な点だ。

レポートや卒論の書き方など、実際にこれを使ってアウトラインから構成していくように指導するとよいかもしれない。 ただし、脚注の機能が論文引用のスタイルに合わない点が残念だが、論文の下書きなどには便利につかえそうだ。アウトライナーソフトは一見便利そうで、実は?、という印象をもっていたのだが、Kacis Publisherでは全体を把握しやすい表示形式と電子出版機能で復活という印象だ。

Kacis Publisherにかぎらず、電子出版は個人で行えるようになっている。ただ、やっかいなのは「優先権」や著作権保護の問題が生ずる可能性があることだろう。どのようにしてこれを保証したらよいのか、なんらかの公的なシステムが必要と思われるが、なにか良い仕組みが考えられているのだろうか。(いろいろ試行中らしい)

年度末が近く、学部と大学院の入試、諸会議とむしろ学期中よりあわただしい。大学は年度末が文字通りの師走である。 

2003/2/16(日)広報

大学の広報関係の仕事がいくつかあった。一つは、前にも書いたかもしれないが、学園報の「20周年」についてのエッセイと、地域新聞とのタイアップ記事の「ゼミ紹介」である。「20週年」の方は「20年のあゆみ」として専攻の簡単な経緯と感想をまとめた。ゼミ紹介の方は学生を広報課に紹介すればそれで良いと思っていたのだが、原稿が必要という連絡がきて、締め切りが近いという。3年生のWさんとEさんに頼むことにした。(実は実験実習の発表会で、難しい課題報告を担当したWさんがとても要領よく発表していたのを思い出したからである。)いくつかアウトラインをメールしておいたところ学生の立場から見た、非常にわかりやすい原稿を書いてくれた。誤字脱字などいくつか訂正するだけで、これを原案として広報課に送ることにした。ただし、これでも一般の人を対象にする場合にはもっと具体的にわかりやすく、という注文がつくのかもしれない。Wさんは携帯メールだけでなくPCを自宅で使えるので原稿のやりとりや訂正もメールですませることができて非常に助かった。 

2003/2/13(木)パーティ

夕刻新歓と追いコンをかねてゼミコンパ。これも毎年思うことだが、専攻全体でも新勧や追いコンがあって、時期的にも負担の面でも、どうもリダンダントだなあ。パーティといえば、アメリカ出羽の守様にうかがっている米国大学生風の「質素だが貧しくない」パーティ形式がしゃれていると思う。「チーズと葡萄酒、ピクルス、パン」といった簡単なもので十分に楽しめるし味覚的にも満足できるものである。これの和風バージョンを考えてみると良いのでは?

2003/2/12(水)萌芽

午後から会議二つ。一つは定例の会議で、もう一つは新しく始まった会議で、学内体制が新しくなったこともあって意欲と変化のきざしが感じられる。

話題になっているweb日記の卒論を見た。素直な研究であるとは思うが、ちょっと素朴すぎるのではないか、という印象だ。独立変数を決め打ちする根拠を求め、従属変数の再検討を勧めたことだろう。独立変数と従属変数という言葉の理解の仕方はかなりちがいがあるものだと感ずる。掲載されてはいないようであるが、背景理論などの文献レビューはしっかり行われているのであろうと思うが、卒論としては若々しい「萌芽」的要素を求めたいところだ。卒論にかぎらず論文の公開手段として、今日ではWebを利用すればその範囲は非常に広がる。このような形式の発表が義務づけられれば、各大学の卒論研究は早いテンポでレベルアップしていく可能性もあると思う。(コピー行為も増加するだろうが、一方で発覚する可能性も非常に高くなるので、抑止効果となる。)

卒論は基本的には選択制がのぞましいと考えているが、必修・選択制の結論を出すのは難しい。卒論など研究のおもしろさ、といったものに気がつくためには実際に経験してみるしかないからである。実際、計画やらなにやらを始めることで実力が発揮される(おそらく本人も気がついていないこともある)という例は毎年経験するところでもある。特に謙虚な学生にこの傾向があるように感じられる。

 

2003/2/9(日)「速攻!翻訳マスター」

アドイン組み込みの対象は一太郎13のほかにもWord97/98/2000/2002やエクセル、パワーポイントなどにも組み込み可能、ATOK16だとインライン的に「翻訳」できるように設定することができる。もちろん翻訳マスター単体でも利用することができ、これが一番手軽かもしれない。しかし、どの程度前後関係を考慮しているかわからないので、一括変換か単文毎の変換のどちらがよいのかは良くわからない。以下の翻訳例は「翻訳マスター」で一文ずつ変換してみたものである。昨日の「日記」の文を翻訳しやすいように「主語」などを補っている。

やはり、というか当然だが単純な「変換」で「翻訳」とは言えないレベルだ。これでは日本語も英語も変になりそうだ。昨日はこれはよさそうと書いた「翻訳マスター」であるが、ウインドウ間で単純に日本語が英語に置き換わっていく眺めに幻惑されてしまったようだ。いまのところは便利な辞書引きソフトくらいに考えておくのが無難だ。むしろ翻訳支援に徹する方向で改良していけば可能性がありそうだと思う。

2003/2/8(土)一太郎13

昨日、一太郎の新しいバージョンが届いた。実は今回のおめあてはATOK16と連携した「速攻!翻訳マスター」である。これまで何種類か翻訳ソフトを買っていたので、懲りもせず、ということになるのだが。「速攻!翻訳マスター」は「日英翻訳」がブラザー工業のエンジン、「英日翻訳」はシャープのエンジンということだ。インストールしてためしてみたところではこれはなかなか良いかもしれない、という印象である。日英が主な用途だが、一見しておかしい、というような翻訳ではないようだが、この判定はユーザーの知識に依存する。一太郎やATOKとの連携がスムーズなので実用性はかなりあがってきている。二つのウインドウ間で対訳が進行しているのを見るのはなかなかの見物である。

英日翻訳はシャープのエンジンということだ。シャープのはエスペラントをピボット言語にして翻訳している、という記事を以前に情報雑誌で読んだことがあるが、こちらはほとんどためしていないので実力のほどはまだよくわからない。

マニュアルにも書いてあるように「人工知能」による機械翻訳は英語と日本語をそれぞれ理解できないと使えるものではない。しかし、読解力を中心にして英語に接してきた私のような者にとっては、「日英翻訳」はかなり便利なプロンプターになってくれるのではないか、ということを期待しているのである。

午前中入試関係の会議。水戸はすっかり春めいてきて構内の梅もだいぶほころんできた。今日は卒業生のS君の結婚パーティがあったのだが、Webから「結婚おめでとう」。S君はちかごろめずらしくワイルドな印象のなかなかの好漢である。卒論も自主的にとりくみ、熱心にやっていたなあ。ささやかなプレゼントを考えていたのだが、入試業務でいそがしかったため、うまく間に合っただろうか?

2003/2/4(火)採点2

 

続いて、「心理学研究法」の採点結果。得点(素点)分布は下の図のようになった。やや左にゆがんだ分布となった。平均値は男女ともほぼ等しくなった。標準偏差は男子のほうがやや大きい(21.8, 18.1)。素点の平均値は昨日の特講の結果と同じくややひくくC+からB-あたりの得点だった。女子の低得点者がやや多いのが気になるところである。この女子の低得点者の割合が増加していることがいちばんおおきな変化であった。ここ数年みられなかったことである。もうひとつは全体的に得点が低くなっていることである。例年どおり授業にそって出題し、配布プリントをおさらいしておけば平均点は70から80点が予想される水準で、難しさはここ数年それほど変化していないと考えている、というか「過去問」にあたっていれば、たぶん「楽勝」であろう。理由についてはよく検討してみなければならない。

昨日は入試業務のため都内へ。

2003/2/3(月)採点(知覚特講)

定期試験の採点。先日とりあげた「悪問だらけの大学入試」(丹羽健夫著、集英社新書)では、「悪問」の基準として、以下のような基準があげられている。

  1. 「教科・科目の範囲やレベルを逸脱していないか」
  2. 「単に知識を問うのではなく、その教科を学ぶことによって培われるべき考え方やものの見方や知的攻撃力を問う問題か?」
  3. 「恣意的でなく、よく練られた客観性のある問題か?」があげられている(p.15-16)
  4. また、たとえば、「こんな問題でどんな能力を問おうとしているのか」がよくわからない問題
  5. 逆に選抜を目的としているばあいには意味のない問題、「こんな問題では差がつくわけがない」といった例は「消極的な悪問」とされている

これはあくまでも中等教育からみた入試問題の「悪問」の基準である。大学の試験では(1)は自力の学習が行われているかどうかを見るためには是認されると思う。また、(2)も妥当だが、ただ「知識も」という条件がつくだろう。ただこのあたりは大学の定期試験などでは「持ち込み可」ということもあるので、もちろん丸暗記的な知識が最重要というわけではないが、知っておかなければならない事項は当然多くなる。(3)はどの試験でも共通して大切な条件と言えるだろう。

この基準に照らしてみると、私の出題方法は「知識を問う」という面は「持ち込み可」なので記憶に頼る必要はないが、「考え方を理解」しているか、という点を重視している。それに加えて「出席状況」を推測できるような出題である、というのが特徴になるだろうか。「試験」の不要な授業、試験を受けることが次の勉学につながること、を一つの理想と考えているのだが、これについてはまだまだだ。

で、採点が終わった「知覚心理学特講」の得点(素点)分布は下の図のようになった。だいたい正規分布状に近い型になった。素点の平均値はややひくくC+からB-あたりの得点だった。標準偏差値は13.4。これをもとにしてA,B,C,D(Dは不合格)を決定した。

2003/2/2(日)リモート・アクセス

最近になって義母にメールやインターネットのことを教えている。ワープロ(富士通オアシス)をつかっていたこともあって、操作カンはよく、メールの送受信についてはすぐにできるようになった。義母は都内に住んでいるので直接iBookを操作しながら教えたのは一回だけであった。ただ、やはり細かい点はいろいろな質問がくる。メールのやり取りで解決できることがほとんどなのだが、メールや電話で説明するのはなかなかむずかしい。特にアイコンの名称と形態、その位置関係を説明するのは大変である。「そこの△のマークをカチッと、」「え、どこの?」「、、、カチッとやって引っ張ると、、」「引っ張るってどうやって?」「えーと、ドラッグで、、」、、、。それで、リモート・アクセスのできるソフトをさがしている。IBMのデスクトップ・オン・コールが手軽でよさそうなのだが、あいにくiBookのMacOS9.2.2はサポートされていない(ようだ)。アップルのRemote Desk Topはコントロール側がOS-Xでなければならないようだ。アップルのOS-X用の画面をあらためて見ると、ボタン類に色が付けられているので指定しやすいのかもしれない。ただ、こちらの環境に合わせて0S9で教え始めたばかりなのでシステムを変更するのは躊躇している。とりあえず絵の多いマニュアル本を2冊買って、電話口で双方で確認しながら説明すればなんとかなるか。

2003/2/1(土)悪問・脱偏差値

いよいよ入試シーズンである。たまたま本屋で手にした、丹波健夫氏著「悪問だらけの大学入試:河合塾から見えること」(集英社新書、2000)を読んだ。もちろん「良問」も多いとの注つきで、さまざまな「悪問」の事例が示されている。河合塾は数年まえに「大学入試問題の作成を請け負います」ということで話題になった予備校でもある。著者はこのことから現在の大学入試や大学そのものの問題を問いたかったのであろう。私は入試問題を直接作成する立ち場にはないので、「悪問」「良問」の実例よりもそのような問題の生ずる背景についての意見や考察など参考になる点も多かった。ただし、予備校という特殊な準備状態にあるところと多様な大学を一般的に比較すること自体無理なことではあるが、授業や教育については傾聴すべき意見も多いと感じた。

センター入試のようなルールの明確な競争を否定するものではないが、みんなが参戦する必要はない。しかし、現実的には脱・偏差値競争の立場を選択した場合に、受け皿が存在していないことも事実であろう。ここらあたりは大学側が十分に検討すべき課題である。また、脱・偏差値を実現する唯一の方法は、高校教師とアドミッションズ・オフィスとの個人的な信頼関係を確立できるか否かにかかっている、という指摘は入試の方法を考える際に検討に値する提案であると思う(抽象的だけれど、これ以上はいまのところ企業秘密です)。

教員(予備校講師)についての観察もおもしろい。予備校教師は「世を忍ぶ仮の姿」で、本業(研究上の専門分野など、予備校側からみるとこちらが余業)を持つ人が多く、人気講師にはとくにこういうタイプの人が多いのだという。

「、、、教師というのは教える技の完成度を上げるためには、なにがしか余業を持っていたほうが良いようなのだ。たぶん自分の専門の教科の枠の中にだけ閉じこもり、年ごとにその繰り返しで齢をかさねると、無意識に既成パターンに取りつかれ授業が瑞々しさを失っていくのではあるまいか」

このため河合塾では河合文化教育研究所をおき、「余業」の研究の場をあたえている、ということである。このあたりは大学とはちがう点であるが、教育と研究の関係に似ていなくもない。大学での担当科目も、本業・本業関係よりも本業・余技関係も試してみるのが良いのかもしれない。

また教員の年齢の問題も指摘されている。予備校では授業満足度が講師の年齢とともに低下していく傾向があるという。教える技量や学識の点ではあきらかに熟練している教師も年齢には勝てないものらしい。年齢差からくる感性のギャップや体力のおとろえなどによる迫力や魅力の減少にあるのだろうか。以前読んだ東海大学での授業アンケートも同様の傾向であったが、大学では予備校以上に高年齢化しているから、この問題はもっとしんこくかもしれない。これに対応するには、講義において世代間の有効な連携の方法を考える必要がある。

本書は最後に教育の規制緩和と自由化が自制的に主張されている。一元的な偏差値競争からはみだした生徒について公的な教育機関よりもむしろ懐の深い対応も見られる。このような脱・偏差値へむけてのやむにやまれぬ対策が生まれている点が「予備校」にとっても教育機関にとっても逆説的であり、おもしろいところであった。


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