ノートパソコン実験授業・日誌 ■ノートブック日誌インデックス


99/2/7(日)センセイのファッション

N君が先日研究室に現れて相談したいことがあるというのでなんのことかと思ったら、来年度から新しく非常勤講師をやることになったとのことでそれについて聞きたいということだった。まずどんなことを注意すればよいかと聞かれた。私は非常勤講師の経験に乏しいのであまり良いアドバイスはできないとは思ったが、「場合によってはN君の担当科目の単位を落としたために進級できなかったり、卒業できなかったりするということが起こるかもしれない。単位を出す責任があるということが一番のちがいなので、この点だけは学生気分でいないように。成績認定の根拠を説明できるように」また、「学生には公平に接しなければいけないよ」などとエラそうに話した。

また、N君は服装について、「センセイ方のなかにはカジュアルなスタイルの方もあるが、やはりネクタイなどしたほうがよいでしょうか?」という。なるほど最近では私はネクタイをして授業をしたことがない。身につけるものについては私自身は注意されたことはないのであるが、やはり年輩のちゃんとしたセンセイ方はネクタイに上着という方が多く、不快に感じられている方もあるかもしれない。「きちんとネクタイと上着をつけるように、というお達しのある大学もあるようだ。わたしのセンパイにあたる方は助手に採用になったころ、当時のファッションだったT-シャツにジーンズというスタイルで最初の講義をやったところ、「上司」にあたるセンセイから『講義は重要な仕事なのだから身なりにも気をつけなさい』とおしかりを受けたそうだ。最近では比較的若いセンセイはジャケットとチノパンツというアメリカ風のスタイルが多いような感じだ。このスタイルは楽で、私もこのスタイルが(ハタめにはともかく)気に入っている。実験や実習ではそうもいかない。高校などではジャージー姿のセンセイがあるようだがまああまりにもカジュアルすぎなければよいのでは。まあ上着くらいは着たらどうですか」などと話す。

服装について、ちょっと奇異に感じたことがある。いわゆる「文系」のセンセイで白衣を着て授業されている方がある。このような経験があまりなかったのと、白衣というは作業着で結構キタナイものというカンネンがあったので。わたしも大学院の研究法の授業では大きな黒板のある小教室(演習室)にしてもらい、授業中かなり大量の板書をすることがある。このときはチョークの粉をかぶることになるので、私は(ナッパ服風の)作業着やジャンパーに着替えていく。これの対策かなーとも思っていたのだが。愚一記さんの日記で昔はお寺でお坊さんは白衣を着てガクモンしていた、ということを読んで、なるほど現代のセンセイも白衣を着てガクモンしておるのかと納得した。

おおよその傾向は法文系の方はだいたいスーツ、理系・実験系はややカジュアルという感じか。米国帰りの方は年輩の方でも結構カジュアル。

授業内容については、授業プランを作成して、科目の責任者の方にあらかじめ見てもらったらどうか、とアドバイスした。授業運営については、実習では学生をグループ化して、グループ内でお互いに協力して課題を解かせたり、その発表もグループ単位でやるとよいのではないか、と話した。


99/2/6(土)入学試験

今日は入学試験。センセイ方もちょっとあらたまって早朝より登校。例年どおり試験監督と午後から採点の手伝いをする。最近は「保護者」の方が車で受験生を送って来て、学食で待っておられるという姿が目立つ。

今日は従来通りの学力試験なのだが、最近は推薦入試の割合が多くなってきている。各大学とも多様な入試機会を設けるという方向にある。たしかに大学の入学基準は「学力」のみでなくともよいようにも思える。はいってからいっしょうけんめいベンキョウすればよいわけだし、受験用の学力と一般的な能力、研究能力などあまり関係ないという意見もよく聞かれる。しかし、多様な入試機会といっても結局「小論文」や「一芸入試」くらいで、あまり多様とは言えない、それこそ大学側に芸のない状況だ。むしろ多様な入試機会というかけ声は「人員確保」に利用されているように感ずる。

試験監督修了後、7時すぎまで採点の補助作業を行った。


99/2/5(金)「パソコンできる」って何?

昨日図書館で久しぶりに「日経パソコン(99/1/25号)」を手にとってみた。ここ数年間ほとんど見ることもなかった。二つの記事が目を引いた。ひとつは企業でのPCスキルの評価がはじまったという「パソコンできる」って何?という記事。学内の情報処理教育の委員をしているので、参考になった。もう一つは、MacとWindowsのデータ交換やハードの共有についての記事。MacとWindowsについては「人生を複雑に」したくはなかったのだが、趣味と実用が相半ばするため複雑になってしまった。インターネット関係はMac(複数のTCP/IPを切り替えてつかわなければいけないのは面倒だが)、ノートパソコンと実験プログラム(Delphi3.1)はWindowsという棲み分けである。記事のタイトルは「2台目はMacでいこう!ファイルから周辺機器までWindowsと徹底共有」。最近のiMacブームを反映するものだろう。要領よくまとめてある。iMacブームは歓迎なのだが、Mac環境を複雑にしないでくれるともっとうれしいのだが。


99/2/4(木)「大学キックアウト制は疑問」・卒論発表の練習

大学審議答申について今日付けの日経新聞は、「大学キックアウト制は疑問:学生多様化対応が先決」との署名記事(編集委員、柴崎氏)。答申の正式なタイトルは「二十一世紀の大学像と今後の改革方策について:競争的環境の中で個性が輝く大学」というもので、昨年秋にまとめられたもの。提言そのものはもっともな面があることは確かだが、私立大学が8割を占めている現状とかけ離れた提言であり、エリート教育の前に高等教育の「大衆化」を生かす教育基盤の底上げをまずやるべき、との意見。記事をかかれた方はどこかの大学で教えておられるのだろうか。「厳格な成績評価」の先に「落第・放校」制度を予感されている。私は私立大学に在籍しているのだが、大学教育のチャレンジは「大衆化」にあると感じている。「エリート」はなにかと恵まれているのであるから、各自の才覚でおさまるべきところへおさまるだろう。「答申」は基本的には国立大学(今日でもエリートといえるのではないだろうか)を対象にしたものだから、委員の方はたぶんエリート大学出身者がエリート大学を想定して答申されたものなのだろう。しかし本来のエリート教育ではなく「適者生存」を連想する。社会的なエリート像をこれらのことばからうかがうことはできない。これが本質的に問題だと思うのだが、さらに、そのような答申が実状の異なる大学にも「適用」されるという点だ。(世の中では:郵便より宅急便、(旧)国鉄より私鉄、国立より、、)

今日は再度卒論発表の練習。卒論発表会では一人10分という制限がある。今日聞いた感じでは9名のうち半数ほどは前回よりもはるかに良くなった。しかし、まだ、未整理な発表があった。これには2種類あって、良く理解していないために未整理なものと、もう一つは、特に熱心に取り組んだ学生の発表で、やった実験やデータが多く、全部話そうとすると時間オーバーするものである。そのため、発表としてはわかりにくいものになることもある。今日はこれらに該当する例がそれぞれあった。これまでの努力を生かすためにもう一度話の整理をしよう。


99/2/3(水)実験実習の評価・「これからの大学改革」

昨日は心理学実験実習1・2の成績について、担当者6名が集まり、合同で評価を行った。各担当者はそれぞれの担当したテーマについて、独立に採点した評点(A,B,C,D、Dは不合格)を持ち寄って総合評価により成績を決定。例年担当者間の「一致度」はかなり高く、今年は新たに担当された方がおひとり増えたがやはり一致度かなり高かった。実習2(3年生)では学生間の成績の差が広がる傾向がみられた。

大学院の「研究法」の返却したテストの再提出で学生が現れた。ここ数日復習をしたとのことで、答はほぼ直されていた。この学生については、試験準備をしておけば十分回答できただろう。「持ち込み可」なので、テストの準備をしなかったのではないかと思う。「特論」のレポートはテキストの範囲で「日常生活における実際の行動例をとりあげて、考察する」という課題だったのだのだが、ちょっとレポートとして??。

教員談話室に大学審議会答申のパンフレットが積んであった(「これからの大学改革」文部省高等教育局99年1月)。内容はもっともな点も多いが、意図がわかりにくいものもある。

教育や研究関係では、学部は教養や基礎教育、大学院は高度な研究というような捉え方で、特に「厳格な成績評価」や(教員の)教育活動の評価がうたわれている。いっぽう、設置認可や講座編成が柔軟になるようで、大学間の単位互換(現在30単位から60単位へ)、4年未満の卒業、大学院では1年での修士修了など。大学運営の仕方や自己点検・評価、第三者評価も提言されている。国立大学が対象なのだが、裏表紙のQ & Aには「公私立大学においても、、、積極的な大学改革、、が期待されます」と書いてあって、私立大学にも「指導」が及びそうだ。「積極的に改革に取り組んで成果を上げている大学を重点的に支援する、、、」

パンフレットからはくわしい内容はわからないが、全体的には「(現状の)規制緩和」、「自由競争」がバックボーンにあるのだろう。しかし現状の規制緩和のかげには「第三者評価機関」の設置などあらたな「規制」の発生も。

教育面はかなり柔難になっている。大学間の単位互換が大幅に認められれば一大学にこだわらず大学を卒業できる。一方で、学生の横の流動性に障害がなくなれば「厳格な成績評価」も可能ということだろうか。学生もいままでのように○○大学卒ではなく(○○大+△△大+□□大学)卒など増えるのかもしれない。しかし入試改革にはふれられていないのはなぜだろう。入り口の問題も大きいと思うのだが。共通一次試験の改革は大学改革にも匹敵する問題なのではないかと思う。

「教育」評価や第三者評価の提言がなされている。「厳格な成績評価」と「教育(活動の)評価」なかなか難しい課題だ。


99/2/2(火)水上勉氏「音声入力、わが実験の記」昨日の朝日新聞(夕刊)

水上勉氏の「実験の記」にはいまのパソコンをめぐる状況のさまざまな問題が集約されて現われている。ウソぎりぎりの夢のような宣伝、不正確でわかりにくいマニュアル、不完全なユーザーインターフェース。このような問題はパソコンメーカーやソフトウエアメーカーの公共心の欠如、パソコンやインターネット環境は公共的な社会的共有財産だということに思いをいたさないことにあるとあらためて思う。シェアーを奪うために市場を破壊し、製品の責任の所在を曖昧にしてしまうような行為が許されている。また、自社のユーザーさえ裏切るようなこともする。

水上氏は70歳で心筋梗塞を患われたのを期に「心筋梗塞後、筆圧もあって、心不全に脅えながら漢字をかくより、キーボードを押せば出てくる道具によりそってみる意欲がわいた」。マッキントッシュを独学ではじめられ、「いま79歳でようよう自分の道具に届いたと思える」と述べられている。インターネットも利用され、メールや校正もコンピュータを利用されている。

昨年一方の視力をほとんど失われた。手術をうけ、キイボード操作が少ないと思われるIBMの音声入力コンピュータを購入された。「ところが今度の道具はそのようなわけには参らぬ」。なじまれているマックとちがい、マニュアルは読みにくい、操作体系は異なる。「どうしてメーカーは障害者の立場に立って互換性のある道具を売り出してくれないのだろう。」

ユーザーインターフェースは習熟の問題があるものの、やはりマックの方がシンプルで使いやすい。ウインドウズの画面の小さく読みにくいアイコンに苦労されている。ガサツなマウスの動きにも手こずっておられるのではないかと思う。いくらアプリケーション内ではユーザーに「優しく」なっていても、プラットフォーム側が不親切な設計ではユーザーは非常に苦労することになるのだ。ユーザーインターフェースでは優位にたっているマックOSだが、新しいユーザーインターフェースの開発ではあきらかに立ち後れている。その昔、エジソンとベルが補聴器開発にはかれらの特許を無料で公開したそうだ。パソコン業界は彼らに習うことはできないものだろうか。

「こんな道具を発案工夫した人にいっておく。東洋の山ン中の庵で八十になる老男が、目がつぶれぬ先に音声入力の道具をおぼえて、目のみえぬ人に先んじて人体実験になっておくのである。画面に今日も声をはりあげていると・・・叫びたい。」メーカの人やソフトを作るひとはどうかこのような声を聞いてほしい。

「人はどうか知らぬが、私の道具はマニュアル通りにつながったためしがない。、、、つながらねばメールもSOHOもへったくれもないはず。、、、メディアの人々はひょっとしたら、マニュアル本をよんで、その通りにコンピュータはつながるものと思いきめてはいないか。」

コンピュータ関係のライター諸賢はもうすこし責任をもってきちんと記事やマニュアルをかくべきだ。また、ちゃんとしたコンピュータジャーナリストが多くなってほしいものと思う。外科手術用の拡大鏡を液晶画面に重ねてパワーブックに向かわれている姿にこころうたれる。


99/2/1(月)実験実習の発表授業・論文のWeb公開の問題

秋セメスターの定期試験もだいたい終了して学内が閑散としてきた。専攻の方も、実験実習の発表授業と卒論発表会を残すのみとなった。今日はA学部は推薦入試。この時期から私立の大学では入学試験が始まり、学期中とは別種の繁忙期を迎える。

今日は2年生と3年生の実験実習の発表。実験グループ毎に秋セメスターで実習した課題を分担して結果の報告・プレゼンテーションの練習を行う。次年度からは情報処理の授業でプレゼンテーションソフト(PowerPoint)もやるようなので、来年はOHPに加えてパソコンのプレゼンテーションが見られるようになるかもしれない。2年生の方はやはりまだ慣れていないせいか手続きや得られた結果そのものをうまく説明できないという印象だ。3年生の方は課題が難しくなるので目的や結果などよく理解されていない傾向があってちょっと残念だった。まあ、興味が限定されてきているのかもしれない。個人(グループ)差が大きかった。かれらは2年3年と非常によいレポートが多かった学年だったが、3年次の実習ではレポートの質に個人差が大きくなった印象がある。


メーリングリスト("心理学研究の基礎 (fpr)" )ではホームページ上の著作権の話題。最近では研究者が論文をホームページで公開したり、ダウンロードして読めるようにしている方も多い。基本的には「版権」は発表学会誌や雑誌に帰属するのでこのような公開は厳密には不可なのだろう。しかし、「掲載前」の論文について、以前なにかの雑誌で、米国その他の研究者が学会誌への掲載前に自分のホームページ等を通じて、自著を公開し(非公式の)「ピア・レビュー」を受ける例が多く(発表日時のプライオリティーを競っているという面もあるそうだ)、雑誌を発行している出版社はちょっとこまっているが、これを禁止すると「投稿」が減ってしまうことを警戒して、「黙認」している、というようなエッセイを読んだことがある。また、出版元の「許可」を得て掲載されている方のメールも寄せられていた(「無料で掲載可というような「許可」らしい)。めでたく(正式の)審査を通過して掲載された後にはこのような手続きが必要なのだろう。出版社や学会はWeb公開して、これにリンクして公開できるようになっていると、便利なのだが。学会はネットワーク化の対応を急ぐべきだ。

最近になっていくつかメーリングリストに加入している。有益なメールが多い。もっと早く加入すべきだった。これらを学生にも読ませたいと思い、「全文引用」してホームページにまとめて掲載することを考えていたのだが、これは可能なのだろうか?(リンクは可だと思う)。学生にリストに参加するように言えばすむことなのだが、メールアカウントを持たない学生もまだ多いので。


教員談話室にインターネットに接続してあるノートパソコンが1台だけおいてある。これが最近不調の様子であった。今日はとうとう修理に出されたようだ。たしか昨年度設置されたものなので、2年間くらい使用したことになる。たまに教室の方に持ち出される方もあったが、基本的には移動しない使い方であった。もし移動の頻度がもっと高いと故障も多くなるものと思われる。少し古い機種のためか、Windows95は問題なく使えるレベルだが、起動時間がすごくかかる。
■ノートブック日誌インデックス

 

98/12/7からのアクセス数