創立者・諸澤みよ

技術(実学)の伝承を足がかりに、
生涯をかけて地域の人間教育に貢献。

諸澤みよは1887(明治20)年に現在の水戸市に生まれ、22歳の若さで本学の前身・裁縫教授所を開設しました。「邑ニ不学ノ戸ナク家ニ不学ノ人ナカラシメン事ヲ期ス」とする学制を公布して、国民皆学を理念に掲げた明治政府でしたが、未だ多くの女性が家事や雑事に追われ、女性を受け入れる教育機関も限られている時代のことでした。

そんな女性の自立を願って、みよが教授をはじめたのが裁縫という技術です。自らを助け、社会の成長に貢献する技術の伝承は、今日、本学が掲げる実学に通じます。

1974(昭和49)年に永眠。『金剛石も磨かずば玉の光はそわざらん』−−人に備わった資質や才能が、学ぶことではじめて開花することを詠った、昭憲皇太后御歌『金剛石』の一節です。生涯を地域の人間教育に捧げたみよが愛した言葉です。

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