弘道館とは

弘道館(こうどうかん)は1842年(天保12年)に水戸藩(みとはん)九代藩主(はんしゅ)徳川斉昭(とくがわなりあき)が作りました。

弘道館(こうどうかん)はとても大きな学校で、日本で一番大きく、普通(ふつう)のお勉強の他に、医学(いがく)や天文学(てんもんがく)、歌に武術までいろいろなことを教えていました。

斉昭(なりあき)の子供で、江戸幕府(えどばくふ)十五代将軍(しょうぐん)の徳川慶喜(とくがわよしのぶ)もここで子供のときに学びました。

しかし、江戸時代が終わり、明治になってすぐの1868年(明治元年)、戦いでたくさんの建物(たてもの)が焼けてしまいまい、その5年後に閉館(へいかん)してしまいました。

それから、残った建物(たてもの)は茨城県庁(けんちょう)として10年間使われていたり、戦争で一部が焼けてしまったりしました。

そして、1964年(昭和39年)燃えずに残った正庁(せいちょう)・至善堂(しぜんどう)・正門(せいもん)が国の重要文化財(じゅうようぶんかざい)に指定(してい)され、今では公園(こうえん)として、だれでも見学できるようになっています。

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